鉄道写真家・南正時がゆく日本遺産認定 旧北陸線遺構群
今庄駅構内に給水塔と給炭台は、蒸気機関車時代の名残り
令和2年(2020)6月、「日本遺産」に認定されたストーリーを構成する旧北陸線の遺構群を福井県出身の鉄道写真家・南正時さんが巡り、鉄路にかけた先人たちの挑戦に想いを馳せた。
日本遺産「海を越えた鉄道~世界へつながる鉄路のキセキ~」
明治17年(1884)、滋賀・福井県境を貫く柳ケ瀬トンネルが完成し、日本海と太平洋を結ぶ最短ルートが確立。敦賀-今庄間では険しい峠越えをトンネル、スイッチバックを経て開通した。明治45年(1912)、「欧亜国際連絡列車」が開業し、東京(新橋)-金ヶ崎(敦賀港)間を鉄道で結び、ロシア・ウラジオストク間の定期航路を経由してシベリア鉄道で欧州へとつながった。
宿場町から鉄道の町へ「今庄」
昭和37年(1962)の北陸トンネル開通まで、今庄(いまじょう)駅は旧北陸線の峠越えの拠点であった。かつて構内には機関区があり蒸気機関車が多く在籍。福井方面から到着した列車は、ここで補機を従えて重連、三重連となって、峠のトンネル群に挑んでいった。
私は幼少時代、祖父に連れられて武生(たけふ)から敦賀・杉津(すいづ)へ海水浴に行った記憶がある。この峠越えの幾重にも続くトンネルを通過するときは車内に煙が充満して怖かった。それでも長いトンネルを出ると、しばしの間、敦賀湾の青い海が広がる風景に癒やされたものだった。
南越前町今庄宿は、北国街道の難所、木ノ芽峠、山中峠、栃ノ木峠を控えた宿場町として栄えた。旅人はここに投宿して疲れを癒やした。現在も約1キロの街道沿いには宿、商家、造り酒屋、本陣跡が残り、当時の情景を思い浮かべながら街並み散策が楽しめる。
旧北陸線の遺構群を巡る旅はJR今庄駅からスタートすることにしよう。今庄駅構内には蒸気機関車時代の赤レンガの給水塔や、石炭を積み込む給炭台が残っておりプラットホームから見学できる。駅の待合室には「今庄まちなみ情報館」を設置。旧北陸線の資料館として、当時の映像や写真、今庄駅の大ジオラマを展示している。ちなみに、鉄道遺構を巡る旅は武生駅などでレンタカーを借りて、効率よく回るといいだろう。
今庄と敦賀間には「山中越え」という峠越えの難所があり、その間で最長の「山中トンネル」(1170メートル)をはじめ、12ものトンネルが掘られた。山中信号所のスイッチバック跡も明確に残り、峠越えの苦難の旅を彷彿とさせる。スイッチバックの行き止まりのトンネルも興味深い。
これらのトンネルは明治期の建設で、当時はレンガや切石積みの工法によって工事が進められた。レンガ積みは当時主流だったイギリス積み、アーチ部分は長手積みの工法が用いられ、それぞれのトンネルに特徴がある。
今庄駅の観光案内所で配布している旧北陸線の鉄道遺産パンフレットと照らし合わせながら、黒煙のすすで覆われたトンネル群を巡る。まさに命がけで掘り進んだ苦労が偲ばれ、鉄道工事に携わった先人たちに敬意を表さずにはいられない。
これらのトンネルは県道207号として整備され、いまも「現役」だ。見通しの悪いトンネルは時差式信号機による交互通行で、信号機のないトンネルは対向車に注意したい。
ヨーロッパへの国際列車の玄関「敦賀」
今庄駅を出発した旧北陸線の遺構巡りも「葉原トンネル」(979メートル)を過ぎ、右に大きくカーブする葉原(はばら)築堤の廃線跡を過ぎると、ほどなく敦賀に到着する。
敦賀は日本海沿岸の天然の良港で北前船の中継基地として栄え、近代にはアジア大陸を結ぶ交易拠点として発展。明治45年(1912)からは、新橋から金ヶ崎間に欧亜国際連絡列車が走り、交通の要路としての地位を占めていた。
この港から船に乗り換えて世界中に新天地を求めて旅立っていった。今は敦賀港駅が復元され、鉄道資料館として活用されている。
敦賀港は、昭和15年(1940)、リトアニアのカウナス日本領事代理・杉原千畝(ちうね)が発行した「命のビザ」を持ったユダヤ人難民が上陸したことでも知られる。当時の様子を後世に伝える資料館「人道の港敦賀ムゼウム」が立つ。
敦賀から旧北陸線の遺構を巡る旅は疋田付近から旧線跡と、現在の北陸線と分岐して、柳ケ瀬へ至る。ここから滋賀県までは「柳ケ瀬越え」と言われる難所だった。
そのアプローチ部分には、明治14年(1881)完成の「小刀根(ことね)トンネル」があり、現役当時の重厚な石造りの姿をとどめている。このトンネルはD51形蒸気機関車の設計の基準になったといわれている。
ここから旧北陸線は北陸道に沿って走り、福井・滋賀県境を貫く「柳ケ瀬トンネル」(1352メートル)へ。明治17年(1884)の完成当時、日本最長を誇った同トンネルは、今は県道140号として活用されている。滋賀県側に出ると、トンネル口に掲げられていた伊藤博文の書「萬世永頼(ばんせいえいらい)」の石額(複製)がある。この鉄道が世のために稼働してくれることを、いつまでも頼りにするという意味だ。
長浜に向かう途中、長浜市役所余呉支所前には中ノ郷駅跡のプラットホームや駅名標が残っているのでお見逃しなく。
今回巡った福井県側の鉄道遺産群は、私が少年時代に幾度となく利用した路線で特に思い入れが深い。初めて手にしたカメラを持ってD51やDF50の牽く列車で山中越え、柳ケ瀬越えを経て米原駅で目にした東海道線の新型電車の姿は今も記憶に鮮明である。
日本最古の駅舎を訪ねて「長浜」
長浜市はかつて豊臣秀吉の城下町として栄えた商都で、北陸線の鉄道発祥の地としても知られている。
明治15年(1882)、長浜―敦賀間に鉄道が敷かれ、同年に長浜駅が開業。2年後、柳ケ瀬トンネルが完成し、全線が開通した。当時、大津―長浜間は琵琶湖の鉄道連絡船で結ばれ、湖岸の長浜駅で汽車に乗り換え敦賀へ。長浜は京阪神をつなぐターミナルになった。
その旧長浜駅舎は日本最古の駅舎として現存。今は鉄道資料館「長浜鉄道スクエア」として、当時の面影を残す駅長室、待合室、ホールなどを見学できる。北陸線電化記念館にはD51と北陸線初の交流量産電気機関車ED70 形も展示されている。鉄路の歴史を知れば、現在の北陸線の旅も一層楽しめるだろう。
今庄まちなみ情報館・今庄駅
福井県南越前町今庄74-3-1 / 9時~16時、年末年始休 / TEL:0778-45-0074
敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎)
福井県敦賀市港町1-25 / 9時~17時、水曜休(休日の場合は翌日休)・年末年始休 / 無料 / TEL:0770-21-0056
長浜鉄道スクエア(旧長浜駅舎)
滋賀県長浜市北船町1- 41 / 9時30分~17時(入館は30分前まで)、年末年始休 / 300円 / TEL: 0749-63-4091
写真 / 南正時 取材協力 / 福井県交流文化部文化課
(出典「旅行読売」2021年4月号)
(ウェブ掲載 2021年3月22日)