謎多き武将・明智光秀がいた越前若狭
戦乱の世を駆け抜けた武将・明智光秀。 福井県内の各所に点々と残る、 光秀の足跡をたどる歴史さんぽへ。
土岐氏は美濃国で約200年もの間栄えた。土岐氏の一族である明智家の本城であった明智城の落城後、明智光秀は妻・煕子(のりこ)とともに越前へ逃れたといわれている。
光秀の滞在については謎が多いが、遊行寺の31代目住職・同念上人の遊行記『遊行三十一祖京畿御修行記』の中に、かつて光秀が称念寺(しょうねんじ)門前に暮らしていたことが記されており、越前で一時を過ごしたことは間違いなさそうだ。
光秀は、越前では約10年の歳月を過ごしたとされ、娘の玉(ガラシャ)を授かった後、足利義昭や盟友・細川幽斎(藤孝)と出会った。義昭の家臣として仕えるも、やがて義昭の元を去り、織田信長に仕えることになるのだ。
のちの運命へと導く重要な出会いの場所となった越前には、先出の称念寺や光秀の居所跡とされる明智神社、退却戦の舞台となった金ヶ崎(かねがさき)城址など、光秀ゆかりの地が点在。温泉や海の幸も堪能し、冬の越前で光秀に想いを馳せたい。
一乗谷朝倉氏遺跡
織田信長に仕える前、光秀が頼って身を寄せたのが朝倉義景とされる。朝倉氏が5代にわたり本拠とした一乗谷には、最盛期には約1万人が暮らしたとされる。城下町の一部は「復原町並」として再現。遺跡の発掘調査は現在も続く。
福井市城戸ノ内町/見学自由※復原町並9時~16時30分(最終入場)、年末年始休/220円
TEL 0776・41・2330(朝倉氏遺跡保存協会)
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
遺跡からすぐ。2020年4月21日まで、特別公開展「越前朝倉物語~一乗谷にまつわる物語と伝説」を開催。朝倉氏ゆかりの刀剣などを展示する。1月19日には新春特別講座「明智光秀と斎藤道三」も実施。
福井市安波賀町4-10/9時~16時30分、年末年始休/100円 TEL 0776・41・2301
称念寺
明智城が落城した後、光秀はこの寺の門前に身を寄せたという。境内には、光秀の妻・煕子が自慢の黒髪を売り、連歌会を開くための資金を用立てたという逸話を詠んだ松尾芭蕉の句碑がある。
「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」
坂井市丸岡町長崎19-17
TEL 0776・43・0753(坂井市観光連盟)
明智神社
光秀が朝倉氏に身を寄せていた頃に暮らしたという地に立つ。一向一揆討伐の際、光秀が柴田勝家らに出させた安堵状により村が守られたとされ、光秀は今も地域から「あけっつぁま」と慕われている。ガラシャの生誕地ともいわれる。
福井市東大味町/参拝自由
TEL 0776・20・5346(福井市おもてなし観光推進課)
金ヶ崎城址・金崎宮
織田信長の越前攻めでの戦いの一つ「金ヶ崎の退(の)き口」の舞台で、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が揃って敗走した。その際、光秀や秀吉らが殿(しんがり)を務めたとされる。金崎宮では、「難関突破」の小豆袋型のお守りを授与。
敦賀市金ケ崎町1-4/9時~17時、無休
TEL 0770・22・0938(金崎宮社務所)
熊川宿
若狭と京都を結ぶ鯖街道の宿場町で、織田信長、徳川家康の越前攻めのルートにある。光秀はこの越前攻めに参陣し、先遣隊として熊川入りした。熊川宿はガラシャの姑、沼田麝香(じゃこう)の出身地としても知られている。
若狭町熊川/見学自由
TEL 0770・45・0113(若狭三方五湖観光協会)
宴の料理を再現!駅弁「越前朝倉物語」
1902年創業の番匠本店が手がける駅弁。足利義昭の元服を祝う宴で、朝倉義景が振る舞った料理を現代風に再現。小鯛の手鞠ずし、うなぎ飯、古代米などが彩りよく盛り込まれる。福井駅ビルのプリズム福井内「桜むすび」で販売。1280円
TEL 0776・57・0849(番匠本店)
福井の温泉に泊まって歴史さんぽ【三国温泉&越前温泉】
称念寺を巡った後は、同じ坂井市にある三国温泉へ。露天風呂を備える宿が海沿いに点在し、光秀も訪れたとされる三国湊の夕日を眺めながら湯浴みを満喫したい。越前海岸には「美肌の湯」といわれる越前温泉も湧く。冬は越前がに料理が楽しみだ。
坂井市三国観光協会TEL 0776・82・5515
越前町観光連盟TEL 0778・37・1234
光秀ゆかりの地をめぐるバスツアー
福井県観光連盟では、光秀ゆかりの地を巡るバスツアー(JR福井駅発着)を実施。 ※定員各30名
◎1月18日 一乗谷朝倉氏遺跡、越前和紙の里など
◎2月16日 熊川宿、金崎宮など
詳細・申込は同連盟ホームページで。
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(出典 「旅行読売」2020年2月号)
(ウェブ掲載 2019年12月28日)