音風景を訪ねて松山へ
道後温泉本館の刻太鼓。間近で聞くと空気を震わす太い音が温泉街に鳴り響く
正確に時を伝える伝統の太鼓
朝6時ちょうど。ドーンと太鼓の音が響くと間髪入れず、受付の係員が「おはようございます!」と、待ち構えていた客に声をかける。扉がすっと開いて暖簾がめくり上げられ、浴衣姿の旅行客や普段着姿の地元の人々が建物へ吸い込まれていく。温泉共同浴場の道後温泉本館が開業した1894(明治27)年から続く朝一番の〝儀式〟である。
この太鼓は刻太鼓と呼ばれ、叩かれるのは1日3回。木造3階の建物の屋根に突き出た振鷺閣から6時に6回、12時に12回、18時に6回鳴り響く。中でも朝6時の太鼓は、営業開始を伝える貴重な役割を担っている。
道後温泉本館はレトロな建物に目が行きがちだが、「音」を意識すれば景色も変わるのでは? 音風景を探す旅の目的に選んだ次第だ。
ラジオも大切な道具の一つ
取材時、特別に振鷺閣へ上がらせてもらった。朝6時前。急な階段の先の狭い場所で待っていたのは、この日の当番の長島秀治さん。なぜかラジオの音が流れているが、聞けばこれも重要な道具の一つという。太鼓は6時ちょうどに叩かなくてはならない。1秒の遅れも許されない。「ちょっとでも遅れると、近所の方から『今日は少し遅れたね』と言われちゃいます」と、長島さんは真顔で話す。
そこでラジオが大切。さらには電波時計、スマートフォンも駆使する。電波時計に狂いがないことをスマートフォンで確認し、6時の数秒前から心の中で秒読み開始。ラジオはNHKに合わせ、時報と同時に1発目を叩く。その後は約5秒間隔で4回叩き、最後の6回目は5秒より少し短い間隔で叩くのが決まりだ。
時間にして30秒足らずのことだが、これほど正確さを重視しているとは知らなかった。地元の人にとっては必要不可欠の音。刻太鼓に限らず、昔は各地に時を知らせる鐘や太鼓があった。それらがどこか懐かしく思えるのは、時計がなかった時代に必然から生まれた〝音風景〟だからではないだろうかと、取材後あふれる温泉につかりながら思った。二次元バーコードからは昼の12回の刻太鼓が聞けるのでお試しいただきたい。
地中から響く清涼な音の滴
俳人・正岡子規に象徴されるように、松山は俳句の街でもある。温泉街の湯音や下駄の音、路面電車の鉄音、城山の木々のざわめき、雑踏のにぎわい……。句作につながる情緒あふれる音が満ちた街でもある。水琴窟の音もその一つ。水琴窟について取材中、NPO法人日本水琴窟フォーラム理事の加藤忠さんが、これまで聞いた中でベスト3に入ると教えてくれた水琴窟が、松山城二之丸史跡庭園にある。
琴を弾いたような水滴の音
水琴窟とは、底に小さな穴を開けた甕などを地中に伏せて埋め、手水鉢などからあふれた水が小さな穴から甕の中に落ちるようにしたもの。甕の下部に溜まった水面に落ちる音が空洞で共鳴し、琴のような響きを生むことからその名が付いたという。かつて京都の町家の中庭で聞いたとき、何と風流な仕掛けなのかと感動した。
加藤さんによると「水滴が落ちる間隔や量は一定ではないから、一つの水琴窟でも同じ音は二度と聞けない。いい音が聞こえたと思ったら、もっといい音があるはずと聞き入ってしまう。水琴窟の魅力の一つです」とのこと。
名城・松山城を見上げる二之丸史跡庭園の水琴窟を前にして、耳を澄ますこと数分。確かに水滴の響きは琴を弾いたような音が途切れることなく続いていた。単音が重なると時として不協和音になるが、不思議なことに不快な響きは一音もなかった。
以前から気になっていた水琴窟。その音色にさらに魅せられた。趣異なる2種の音風景を楽しむ充実した旅となった。
文/渡辺貴由 写真/齋藤雄輝
聴いてみよう! 松山道後温泉本館の刻太鼓
聴いてみよう! 松山城二之丸史跡庭園の水琴窟
<問い合わせ>
道後温泉本館
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道後温泉別館 飛鳥乃湯泉
TEL:089-932-1126(道後温泉コンソーシアム)
道後温泉 椿の湯
TEL:089-935-6586
松山城二之丸史跡庭園
TEL:089-921-2000(二之丸・堀之内管理事務所)
(出典「旅行読売」2021年6月号)
(ウェブ掲載2021年10月25日)