その青年は田辺で、知の巨人となった~南方熊楠ゆかりの和歌山・田辺市~
アメリカ留学中の南方熊楠。1901年7月30日フロリダ州ジャクソンビルで撮影し友人たちに贈ったポートレート(南方熊楠顕彰館所蔵)
14年間の留学から帰国した熊楠が、永住の地と定めた紀州田辺。知の巨人の足跡と息遣いをゆかりの地で体感する。
南方熊楠は和歌山市で金物屋を経営し、後に酒造業を起業した商家の息子で、生物学や民俗学に取り組んだ在野の学者だ。1886年(明治19)、東京大学予備門を中退し渡米。その後イギリスに渡り、頻繁に新聞や雑誌への投稿を行った。アメリカにいる頃から牧野富太郎らが出版した「植物学雑誌」を取り寄せて読んでいた熊楠。後年、自分が採集したものの、分からない植物の標本を牧野に送っている。
1900年、アメリカ・イギリス留学から帰国した南方熊楠。その後、大阪・泉州や和歌山市内の寺院での生活と、熊野での植物採集の日々を経て、移り住んだのが紀州田辺だった。1904年から37年間、田辺に住み続けた。
「南方熊楠邸」は田辺藩の屋敷跡に建てられ、熊楠が晩年まで25年を過ごした家。現在は熊楠存命当時の姿に室内や庭が復原され、新種の変形菌を発見した柿の木や大楠、ミカンの木など、多種多様な植物を楽しめる。敷地内に隣接して立つ「南方熊楠顕彰館」では、熊楠の学術的功績と人となりを知ることができる。また、蔵に保管されていた約2万5000点もの資料を収蔵。蔵書や研究資料を保存・公開している。
鬪雞神社の社殿背後にある仮庵山を熊楠は「クラガリ山」と呼び、調査・研究の場とした。妻の松枝は雞神社宮司の四女だ。熊楠が愛した自然と町並みが残る田辺で、青年が知の巨人となった足跡をたどってみたい。
魅力いろいろ田辺観光
田辺の武の巨人、植芝盛平翁を知る
植芝盛平は田辺市生まれ。19歳で修行の旅に出て研鑽を積み、独自の武術を習得。「合気道」と名付け、世界中に広めた功績により、田辺市名誉市民の称号を受けた。
「植芝盛平記念館」では盛平翁の生涯や合気道の沿革を紹介するパネル、ゆかりの品の展示、合気道体験コーナーで、未経験者でも盛平翁や合気道の魅力を感じられる。
田辺市へのアクセス
車/阪和道南紀田辺IC
鉄道/新大阪駅から紀勢線特急約2 時間10 分の紀伊田辺駅下車
田辺観光の問い合わせ
田辺観光協会/TEL:0739-26-9929
(出典:「旅行読売」2023年5月号)