“雪の滝”が迎える乳頭温泉郷で秘湯巡り(2)
雪壁に囲まれて湯浴みを楽しむ蟹場温泉の混浴露天風呂「唐子の湯」
(写真提供/秋田県観光連盟)
〝無〟になって心も真っ白に
季節を問わず人気の高い秋田県の乳頭温泉郷。素朴な雰囲気漂う自然の中に秘湯の一軒宿が点在し、心癒やされるひと時を過ごせる。
温泉郷の中で、特に隠れ湯の風情ある露天風呂が魅力なのが蟹場温泉。館内の内湯続きに露天風呂がある宿が多い中、蟹場温泉のそれは建物から外へ出て林間を50㍍ほど歩いた河畔にぽつりとある。
「2月のピーク時には積雪が6㍍近くに達し、露天風呂までの50㍍はまさに雪壁。そのため、ストーブで温めた長靴を用意しています」と女将の鬼川美佐子さん。
開湯は江戸末期で、明治初期から宿として営業。当時は農閑期の村民が集う湯治宿で、露天風呂には電気も脱衣所もなかった。懐中電灯を持って向かい、周辺の木々に衣服を下げて入浴したそうだ。
現在は本館と新館を合わせ全16室。館内に男女別の木風呂と岩風呂、それに9年前に完成した女性専用露天風呂がある。前述の露天風呂は湯治の名残で、混浴文化を受け継いでいる(女性専用時間あり)。
ブナ林と雪壁に囲まれて
いざ、長靴を履いて浴衣姿で露天風呂へ向かう。丹前は薄い生地ではなく、毛布のように分厚くてぬくぬく。まだ積雪のない季節のことではあったが、外気の冷え込みから湯気がもうもうと立ち上がり、ひょうたん型の露天風呂を包んでいた。
一度に30人以上は入れるだろうか。ほのかに灯る明かりが奥まで届かず、それ以上に広く感じる。周辺はブナ林。雪壁に囲まれた露天風呂そのものが実に絵になる。
湯は無色透明の単純硫黄泉で、体にまとわりつくように無数の湯の花が舞う。湯船に舞い降りた雪が、そのまま湯に溶けてゆらめいているようだ。これが滝のように雪が降る本格的なシーズンになれば、湯の中で雪と戯れるような気分は、さらに高まるだろう。
自然と一つ、“無”になる
夕食後に再び露天風呂につかった。先客はなく、貸し切り状態。大の字になって全身を湯に投げ出すと、ブナの木々が指さすかのような林間の夜空に星々がきらめく。星を見て笑みが浮かんだのは、いくつの時だっただろう。岩肌を伝って注がれる源泉の音を、心地良く感じたのは初めてではないだろうか。
女将さんの、「4、5時間も露天風呂につかりながら、構想を練っていた地元のパティシエさんもいましたよ」という話が思い出された。雪のように真っ白な気持ち、無になれる空間としては最高なのかもしれない。
翌朝、女将さんが、「私、雪の匂いを感じるんです。あっ、この感じだと明日は雪が降るなって」という。秘湯に暮らしていると、そんな感性が磨かれるのだろう。自然と一つになったような女将さんがうらやましかった。
文/松田秀雄
(出典 「旅行読売」2019年2月号)
(ウェブ掲載 2019年10月23日)