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旅へ。(第15回)

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旅へ。(第15回)

廃墟の街に響く鐘の音 奇跡の物語を綴った永井隆

今回の旅のスタートは、長崎市浦上地区にたたずむ一軒の木造家屋=写真=と決めていた。原爆投下の爆心地近くで被爆した医学博士・永井隆は、「原稿が書ければいい」と2畳一間の粗末な家で、3年間寝たきり生活を送ったという。聖書の一節「己の如(ごと)く人を愛せよ」から、永井は如己堂(にょこどう)と命名し、病床で小説や随筆を書き続け、平和への思いを発信した。

奇跡の物語を、彼は書き残している。敗戦から4か月後のクリスマスイブ、浦上天主堂の瓦礫(がれき)から掘り起こされた鐘の音が、廃墟の街に響き渡った。戦後間もない頃、焦土の人々を勇気づけた歌謡曲「長崎の鐘」の作詞はサトウハチローだが、楽曲のモチーフとなった随筆の筆者は永井である。作曲の古関裕而(ゆうじ)は「打ちひしがれた人々のために再起を願って、最後は長調に転じ、力強くうたい上げた」と語り、永井からの手紙に短歌が添えられていた、と明かしている。


新しき朝の光のさしそむる
荒れ野にひびけ長崎の鐘


苦しみながらも、彼は前を向こうとしている。信仰とは、人をここまで強くするものなのか。浦上から、東シナ海を望む外海(そとめ)地区を目指したのは、如己堂の片隅で「帳方(ちょうかた)屋敷跡」の碑を目にしたからだ。帳方は隠れキリシタンの長(おさ)。信仰の根源を問うた遠藤周作の名作『沈黙』の舞台となった外海には、伝説が残っていた。日本人伝道師バスチャンは日繰り(教会暦)を伝え、「7代後に司祭がやってくる」と予言を残したという。帳方は日繰りとともに伝説を語り継ぎ、希望の灯をつないだ。

原爆の犠牲になった永井の妻は帳方の子孫。その屋敷跡に如己堂が立ち、貧しい子どもたちのためにと、彼は私設図書室「うちらの本箱」を開設した。命の限りを知り、未来に希望の灯(ともしび)を託したのだろう。翌年の1951年、永井は43歳の若さで息を引き取った。己の如くに……。長崎の苦難の歴史をたどり、悲しみを乗り越えた人は、強く、優しい、と知った。

(旅行読売2021年9月号掲載)

(WEB掲載:2021年8月25日)


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Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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