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旅へ。(第22回 奈良と宮大工)

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> 奈良市
旅へ。(第22回 奈良と宮大工)

倉沢のヒノキ(東京・奥多摩町)は樹高33メートル、幹周6.2メートル。樹齢600年という見方もある


木の癖を見抜いて組め 適材適所を説いた西岡棟梁

隆起した根が斜面に波打ち、太い幹は途中から9本に分かれ、大空に枝葉を広げている。林学博士の本多静六(ほんだ・せいろく/1866年〜1952年)が「本邦第一」と称えた倉沢のヒノキを地元の人は畏敬の念を込めて、〝千年ヒノキ〞と呼ぶ。東京の最西端、秩父の(ちちぶ)筋に聳(そび)える巨樹には過酷な自然の中で、必死に生きようとする強い意志が宿っていた。

古都・奈良。西ノ京の大池辺りから眺めると、若草山を背景に、薬師寺の東塔(とうとう)と西塔(さいとう)が浮かび上がる。6層に見えるが、飾り屋根の裳階が設けられ、実は三重塔という。1300年前の名刹はたび重なる戦火で白鳳伽藍(はくほうがらん)を焼失し、創建当時の姿のまま残るのは東塔だけになった。復興の悲願は、法隆寺の大修理を手掛け、〝鬼〞と畏怖された宮大工の棟梁、西岡常一(にしおか・つねかず/1908年〜95年)に託された。

樹齢1000年のヒノキがなければ、1000年耐える堂塔は建たない。そんな木は山から消えていた。「人間賢いと思っているけど一番アホやで」とぼやきながら、彼は台湾に飛び、岩だらけの森の中にヒノキの巨樹を見つけた。金堂(こんどう)復元の悲願を果たしたのは1976年、西塔の再建はその5年後である。

棟梁の家には口伝があるという。「堂塔の木組(きぐみ)は木の癖(くせ)組」。良い木だけでは、建物はもたない。日陰で育った欠陥材の〝アテ〞も日の当たらない場所に使うと、「何百年も我慢する」。癖を見抜いて組み合わせる。人間も変わらない。「木の癖組は工人たちの心組」。職人の心を一つにできないような棟梁は去れ、と厳しい。西塔は東塔より高く、屋根の傾斜が浅い。なぜか。ヒノキは時間をかけて乾燥、収縮し、数百年後に同じ形になるという。〝鬼〞には未来が見えていたのだろう。

東京・日比谷公園には樹齢400年の〝首賭けイチョウ〞が残る。「公園の父」と称された本多が進退をかけ、伐採寸前の木を移植し、救ったのである。荒れ地に10万本の木を植えた時は、持続可能な自然林に成長する未来予想図を描いている。100年後、明治神宮の森はその通りの姿に変貌した。

木に学び、木を生かし、未来につなげる。長い時を経て、「アホな人間」たちも、少しは謙虚になれたのだろうか。

 

(出典:「旅行読売」2022年4月号)

(Web掲載:2022年3月31日)


Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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