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旅へ。(第3回)

場所
> 南九州市
旅へ。(第3回)

蛍(ほたる)になった飛行兵 忘れてはならない記憶

「唄を忘れた金糸雀(かなりあ)

象牙の船に 銀の櫂(かい)

月夜の海に浮べれば

忘れた唄を想ひだす」

西條八十(やそ)の童謡「かなりや」は幻想的な絵画のようだ。彼は浪漫派の叙情詩人であり、仏文学の大学教授でもあった。流行歌の作詞は関東大震災がきっかけだった。上野公園に避難した夜、少年が吹いたハーモニカの音色にその場が和み、庶民を慰めるものは高尚な芸術ではないと確信した。

「かなりや」「東京行進曲」「蘇州夜曲」「青い山脈」「王将」……。時代に寄り添う歌がなかったら、私たちの人生はどんなに味気ないものになっていただろう。

初夏、鹿児島県・薩摩半島南部の知覧(南九州市)を訪ねた。枯れ山水の武家屋敷庭園は静謐(せいひつ)に包まれ、ヒトツバ(イヌマキ)の街路樹と石灯篭(どうろう)誘(いざな)われて知覧特攻平和会館を目指した。

盆栽のような街路樹。石灯籠には特攻隊員の姿が刻まれている

1036人の遺影に胸が締めつけられる。

「リュックサックを背負って会いに来て下さったお母さまを見、何か言うと涙が出そうで、遂(つい)、わざわざ来なくても良かったのに等と口では反対のことを言って了(しま)ったりして申し訳ありませんでした」。遺書の文字がにじむ。

「蛍になって戻る」と言った隊員が出撃した夜、「特攻の母」と慕われた故鳥濱トメさんの食堂に一匹の蛍が迷い込んできた。

「みんな『同期の桜』を歌ったんですよ」。訥々(とつとつ)と語るトメさんの映像に見入った。

筒井清忠の「西條八十」(中公文庫)が、特攻隊員との交流を描いている。茨城県の疎開先には訓練施設の少年飛行兵が遊びに来たという。目当てはレコード。朝から晩まで流行歌を聞いて、彼らは沖縄の海に飛び立っていった。「同期の桜」の原詞「二輪の桜」も西條の歌だ。軍部への協力は本意ではなかったが、若者のために書かずにはいられなかったという。

戦後75年。知覧の丘に立つと、飛行場の滑走路は穏やかな田園風景に埋もれていた。彼方にそびえる開聞岳(メイン写真は知覧の猿山からの眺め。はるか遠くの右奥にうっすらと開聞岳が見える。南九州市観光協会提供)の向こうには大海原が広がっている。

忘れてはならない記憶が、そこにあった。

(「旅行読売」2020年9月号)

Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長