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和装での観劇と食事で、気分は江戸の若旦那 ~「着物de歌舞伎」ツアー体験記

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和装での観劇と食事で、気分は江戸の若旦那 ~「着物de歌舞伎」ツアー体験記

着物は着てみたいけど何だか面倒。歌舞伎は見たいけど何だかむずかしそう――。和装と伝統芸能のこうした敷居の高さを、ひょいと一気に超えてしまおうというツアー企画が都内で実施された。国立劇場と読売旅行の共同企画「着物de歌舞伎」。一参加者として体験してみた。


3月下旬の日曜日朝、開演3時間前の国立劇場(東京・半蔵門)に着いた。演目は、近松半二作の「近江源氏先陣館」。歌舞伎名作入門をうたっており、初心者でも気軽に楽しめる仕掛けが施されているらしい。

今日の目的は観劇だけではない。どうせ国立劇場で250年前につくられた歌舞伎を鑑賞するなら、いでたちも着物で、という趣向だ。とはいえ、自前の着物を持っている人は少ないし、自分で貸衣装を手配するのも手間がかかる。そこで、チケットから着物レンタル、そして着付けまでを旅行会社が手配し、和装で歌舞伎を楽に楽しんでもらおうというのが今回の現地ツアー企画「着物de歌舞伎」だ。参加者は、事前に写真で着物を選んでおけば、当日は普段着で劇場に行けば着付けしてもらえる。

国立劇場のバックヤードにて、いざ着付け

大劇場入口の裏手に当たる事務所入口から劇場に入る。2階に上がると「営業課」「歌舞伎課」など国立劇場の事務所が並んでいた。受付のため160畳ほどある「大稽古室」に通された。板張りの姿見やイスが壁際に整然と並び、本番に向けて練習に励む役者さんたちの姿が目に浮かんだ。

着付けはわきにある「本読室(ほんよみしつ)」で。10畳の畳敷きの部屋は、その名の通り脚本の読み合わせのために使われるのだろう。華やかな大劇場の雰囲気とは違う、通常は立ち入れない裏方のきりっとした空気に触れ、ちょっとしたバックヤードツアーの気分を味わった。

事前に男性用8点のなかから選んだものを国立劇場内で着付けてもらう


「おなかを持ち上げるように帯を締めると心地よくて、おなかの上を締めてしまうと苦しいんですよ」。今回、着付けの指導に当たった「きものコンサルタント」の堀井みち子さんが、着付けのポイントを解説する。スタッフの女性2人が、タオルを腹と背にはさんで腰ひもをぎゅっと結び、手際よく角帯も締めてくれた。着崩れないようにと、結構力を入れて締めてもらったが、圧迫感は全くない。

満開の桜の下をそぞろ歩く

10分ほどで着付けは完了。開演まで自由時間だ。さっそく、レンタルに含まれている雪駄を履いて出撃しようとしたが、指の股に鼻緒が食い込んで痛い。「草履はあまり深く指を突っ込まず、軽くつっかけてしゃっしゃっと歩くのが粋。『江戸履き』なんて言いますね」。堀井さんのアドバイスで、江戸商家の旦那をイメージしつつ外に出た。

この日は、雨の天気予報が幸いにも外れて、時折日も差すまずまずの天気。国立劇場の正面前は、駿河桜や神代曙(じんだいあけぼの)など多彩な品種が咲き競うサクラの名所だ。折しも、東京都ではこの日、満開が発表された。早めに劇場に着いた観客に加え、内堀通りを散歩していた家族連れやジョガーが次々にスマホのカメラを構える。

満開のサクラの下で。女性2人での参加も多かった


自撮り棒をぶら下げてウロウロしていたら、着物姿の女性から声をかけられた。「一緒に写真を撮ってもらえませんか?」 聞けば、同じように「着物de歌舞伎」に参加した50代の女性2人組。桜のピンクを背景に、濃淡が異なる水色の着物がよく映えていた。「2人組×3通り」でなごやかに写真を撮り合った。見知らぬ女性から声をかけられてツーショットを撮るなどという慶事は、59年の人生で初めてだ。ありがとう、着物。

そうこうしていたら開演の時間を迎えた。ロビーでイヤホンガイドを調達し、指定の1階席に。この日は、日曜日の千秋楽とあって、8割方は席が埋まっている。背中の帯にはさんだタオルが背もたれを押し、背筋がしゃんと伸びる。

いつもと違ういで立ちだからか、上演中の注意を呼び掛ける女性の声のアナウンスにも、様々な思いがよぎる。
「マスクは、鼻と口をしっかり覆うようにおかけください」
――せっかく和服なので無粋なマスクなど外したいが、コロナ禍ではそうもいかないよなぁ。
「携帯電話は電源をお切りください」
――着物で歌舞伎を観る状況だと、つかの間の「スマホ断ち」も自然に受け入れられるね。
「花道に荷物を置かれませぬよう、また、花道をお通りになりませぬようお願いします」
――そ、そんな大胆な人いたの?

いよいよ「近江源氏先陣館」を鑑賞

開演時間になって、場内が暗転した。と、高音の弦楽器が奏でるなじみのメロディーが流れた。NHKの大河ドラマ「真田丸」のテーマ曲だ。意外な出だしに、会場には軽い笑いが広がる。舞台に現れた出演者の一人、中村萬太郎さんが解説者となり、鎌倉時代の北条・源の争いに世界を借りた本作が、実は江戸時代にはタブーだった徳川と豊臣の争い、そして兄弟で敵味方に分かれた真田信之、信繁(幸村)を描いたものであることを名調子で説明した。いわゆる「ネタばれ」に近い内容だったが、きちんと筋立てや背景をわかった上で歌舞伎を楽しんでほしいという制作者の思いが伝わってきた。

解説は15分で終わり、25分間の幕間に。お楽しみの「着物deランチ」タイムだ。劇場2階にある名物食堂「十八番(おはこ)」に足を運ぶと、四人掛けテーブルにパイプ椅子を並べた、とってもレトロな雰囲気が漂っていた。御膳は「松」「竹」「梅」の3種類があり、真ん中の竹(2,200円)が一番人気だと言う。そこで、「竹」を事前予約し、指定された席に着いた。漆塗りの容器に盛り付けられた焼き魚や煮物、刺身といった伝統的和食を着物姿でつまんでいると、江戸時代とは言わないが、昭和ぐらいまではタイムスリップした気分に浸れた。実は、国立劇場は立て替えが決まっていて、来年秋には利用を終えることになっている。この雰囲気を味わえるのも、あと1年半ということになる。


ブザーを聞いて客席に戻ると、本編の上演が始まった。歌舞伎評が本稿の趣旨ではないので詳細は省くが、NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」のモモケンこと、尾上菊之助演じる主人公・佐々木盛綱を軸に、敵味方に分かれた弟を思う気持ちや、父を思い自らを犠牲にする子のけなげな思い、それに囚われの身になった子を何とか救い出そうとする母の心情が舞台上で交錯する。出しゃばり過ぎないが、勘所を押さえたイヤホン解説が、初心者の観客も物語の筋につなぎとめる。クライマックスの、子役が命を落とす場面では、涙をぬぐう観客の姿もあちこちにみられた。2時間をとても短く感じた。着物を窮屈に感じることもなかった。

母親を誘って2人で参加した鈴木麻子さん(左)。歌舞伎の緞帳をバックに


歌舞伎好きの母を誘って2人で「着物de歌舞伎」に参加した伊勢原市の鈴木麻子さんは、終演後、「非日常を楽しめました」と笑顔を見せた。着物は好きだが手入れが面倒で、普段あまり袖を通す機会はないという。「今日は、気軽に着物を着せていただき、歌舞伎の世界にどっぷり浸ることができました。また来たいですね」。

「着物de歌舞伎」では、希望すれば着物を着たまま劇場を出て、散歩や食事を楽しむことができる。実際、そのまま上野公園の桜を愛で、友人と寿司をつまんでみた。着物や小物の返却は、専用の袋に放り込んでコンビニに持ち込むだけ。日曜朝に国立劇場で着物に袖を通してから、自宅で脱ぎ捨てるまで半日の「旅」は、何も面倒はないのに、思い切りスペシャルな忘れがたい時間となった。


写真・文/貞広貴志


(WEB掲載:2022年4月29日)


好評を受けて、国立劇場と読売旅行は、この秋に第二弾「着物de歌舞伎」を実施する計画だ。詳細が決まり次第、読売旅行の公式サイトにて発表される。


Writer

たびよみ編集部 さん

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