旅へ。(第23回 福島と松尾芭蕉)
仁井田(にいだ)の田植え踊り(写真/福島県須賀川市)
北国に春が来て桜咲く 唄と踊りで迎えた農民たち
風流の初やおくの田植うた
おくのほそ道の旅で、松尾芭蕉(ばしょう)が白河の関を越えたのは今から330年ほど前、元禄2年4月(旧暦)のことだ。江戸を発って1か月、奥州路に降り注ぐ日差しには初夏の気配が漂い、水をたたえた田んぼから、女たちの澄んだ歌声が聞こえてきた。福島県須賀川市に芭蕉が出合ったとされる唄と踊りが伝わる。仁井田の田植え唄は弥ン十郎節ともいわれ、みちのくの人々の純朴な心が映し出されている。土の匂いがする鄙(ひな)びた風情にこそ、風流の初めがある。芭蕉はそんなふうに思ったのだろうか。
種まき桜とともに農家の一年が始まる、と古老(ころう)から聞いたことがある。「桜が種まきの時期を告げる」。満開の光景に、今年も頑張ろうと思いを新たにし、花が散れば、いよいよ田植えだ。夫の出稼ぎの間、家を守る妻は「種まき桜がほころぶ頃に夫が帰る。心のよりどころ」と話していた。桜の語源、由来には諸説あるが、サは田の神、クラは磐座(いわくら)、依(よ)りしろという。春になると、山から神が降りてきて一斉に花を咲かせ、農民は唄と踊りで迎えるのである。
都内のさくらが散る頃、東北の桜は満開になる
福島の桜を巡り、薄紅の花が滝のように滴り落ちる三春滝桜(みはるのたきざくら)に対面した時、記紀神話の桜の女神、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の立ち姿を思い浮かべた。不動桜、地蔵桜、糸桜……。周辺に咲くベニシダレも鄙ぶりの中に高潔さを秘めているが、女神の子孫樹と聞けば、それも不思議ではない。
孤高の一本桜も忘れられない。移(うつし)ヶ岳を望む田園風景の中に背筋を伸ばして立つ小沢の桜の傍らには、祠(ほこら)と野仏(のぼとけ)がたたずんでいた。「願い桜」の名で映画のロケ地になったこともある。震災、原発事故で変わり果てた街に残された桜並木の切なさも目に焼き付いている。昨年4月、夜の森(富岡町)の桜まつりで、地元の人たちが復興を祈り、ヨサコイ踊りを披露した時は、弥ン十郎節の女たちの姿と重なった。
東北の人々は厳しい自然とともに生きてきた。だからこそ、昔と変わらぬ素朴な営み、偽りのない祈りの気持ちが旅人の心を打つのだろう。芭蕉は不易流行(ふえきりゅうこう)を唱えた。絶え間ない移ろいに、永遠、不変を見る。「風雅の誠」と俳聖は言ったそうだ。
北国にも春が巡ってきた。
(出典:「旅行読売」2022年5月号)
(Web掲載:2022年5月13日)