真田家の城下町・松代で歴史散歩~其ノ一~
真田邸
修復・復元された松代城
長野駅からバスで30分ほどにある松代は、300年以上の間、北信濃の重要な拠点となっていた松代城の城下町。松代城は、上杉謙信との川中島の合戦の際に、武田信玄が築城した海津城が始まりとされる。戦国の動乱の中、城主は激しく入れ代わり、1622年に真田信之が藩主になってから真田家の歴史が刻まれ、三代・幸道の時に幕命で「松代城」と改名されたという。
1872年に廃城になった際、城内の建物の大半は払い下げられたり、取り壊された。当時の建物で現存するのは、三の堀の外にあった新御殿(真田邸)のみである。松代城は、2004年に大規模な修復、復原工事が行われ、太鼓門や北不明門、内堀、二の丸虎口、戌亥櫓台などが復元・再現された。2023年12月まで太鼓門前橋の架け替え工事中だが、城内へは気軽に入れる。
真田邸では芸術的な意匠にも注目
真田邸は、1864年に九代藩主・幸教が義母・貞松院の居所として建てたもの。幸教も隠居後は、ここを私邸として暮らしていた。表門や主屋、土蔵、庭園など、江戸末期の御殿建築の様式を今日に伝えている。御殿建築とは、書院造りといわれる建築様式で、公私両方の役割を担っており、邸内を見て回ると小規模ながらその雰囲気が良く分かる。
御居間や御化粧之間、表座敷など主要な部屋の袋戸に、花鳥図など見事な絵が描かれている。この一部は松代藩士・酒井雪谷により描かれたものだ。雪谷は江戸下屋敷に居住していた頃、歌川広重の門へ入り絵師としての腕を磨いたとされ、九代藩主・幸教にも絵を教えていた。
ふすま同様に、釘隠しにも注目したい。武士が好んだという菱形をモチーフにしたもののほか、巾着型もある。その意匠は繊細であり、芸術作品として楽しめるものである。