【夜行列車の旅】コラム サンライズエクスプレスにいま乗りたい理由(鉄道カメラマン 伊藤岳志)

1958年に登場した初代ブルートレイン20系客車を使用する寝台特急「あさかぜ」
夜行列車盛衰記
「サンライズエクスプレス」は、快適な個室寝台と旅心をくすぐる運行区間が人気で、近年はさらに人気が高まりきっぷの入手が難しくなっている。「いま乗りたい理由」を挙げる前に、夜行列車の歴史を簡単に振り返ってみよう。
そもそも夜行列車が運行されるようになったのは、明治時代以降、鉄道路線の延伸で運行時間が長くなったからである。我が国の鉄道では、東海道本線が最初の夜行列車運行路線だ。1889年に新橋―神戸駅間が全通し、その時の直通列車の所要時間が20時間だったので、必然的に夜行運行となったわけだ。
その後、夜行列車には、横になって睡眠を取りながら移動できる寝台車が連結されるようになる。戦後の高度経済成長期には、さらに快適性を増した寝台特急専用車両が登場した。それが1958年に導入された20系客車、いわゆるブルートレインだ。
冷房を備え快適な寝台を持つブルートレインは「走るホテル」とも呼ばれ、好評を博した。20系に続く新型寝台車両も製造され、70年代後半のピーク時には毎夜各地で200本近い寝台特急や夜行急行が走り回っていた。しかし、全国に新幹線網や航空路線網が広がると夜行列車は衰退していき、減便が進んだ。
東京〜九州を結ぶブルートレインは花形だった。夕方の長崎駅では、東京行きの「さくら」と「みずほ」が並んで発車を待つ姿が見られた
風向きが変わったのが、国鉄分割民営化後の好景気の時代。88年の青函トンネル開業に合わせて「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」が登場すると、夜行列車は上質な個室寝台を備える列車へとシフトしていく。この流れの中で98年に登場し、今も唯一現役なのが山陰と四国へ向かう「サンライズエクスプレス」だ。
「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」は実に魅力的な列車だったが、北海道新幹線の開業と車両の老朽化で廃止になってしまった。「北斗星」が2015年に廃止され、最後の夜行急行「はまなす」が16年に廃止されると、ブルートレインと呼ばれる夜行列車はすべて姿を消した。
青函トンネルを通って上野駅ー札幌駅間を結ぶ「北斗星」は、その豪華な設備と相まってまさに夢のブルートレインだった
サンライズが人気の理由は
理由➊ 唯一の定期運行の夜行列車
かつて星の数ほどあった国鉄・JRの夜行列車だが、現在定期列車として運行されるのは「サンライズ出雲」と「サンライズ瀬戸」の2列車だけとなった。その存在自体がレアで、手軽に寝台列車を体験できる列車として貴重な存在なのだ。山陰と四国という、首都圏からアプローチしにくいエリアに直通するのも人気の理由だろう。
理由➋ 個室主体の快適な社内設備
「サンライズエクスプレス」は寝台のバリエーションが豊富で、人数に合わせて選択できるのも魅力。すべて個室寝台で、A寝台のシングルデラックスを筆頭に、2人用B寝台のサンライズツイン、1~2人用B寝台のシングルツイン、1人用B寝台のシングルとソロの合計5種。このほかにカーペット席(ノビノビ座席)もある。ひとり旅、友人との旅や夫婦旅はもちろん、個室は子どもが添い寝可能で家族旅行もでき、さまざまな鉄道旅に合わせられる。
また、列車の内装デザインは住宅メーカーのミサワホームが手掛けており、ウッディーで機能的なインテリアの個室で、快適に長距離夜行列車の旅を楽しめる。
理由❸ 運行時間帯の良さ
下りは東京を21時50分に出発するので、仕事終わりに慌てて駆け込む必要もなく、翌日は出雲市駅や高松駅に観光にちょうどよい時間帯に到着する。逆に上り列車は始発駅を早めに出発するので、宵の時間帯から就寝時間帯に至る、夜行列車の醍醐(だいご)味といえる時間経過を楽しむことができる。夜の車窓を肴(さかな)に、個室で一杯やるのは至福の時間だ。
「サンライズエクスプレス」は、ニーズに合わせた運行区間と快適な設備がそろえば、夜行列車は今も多くの利用が望めることを具現化しているといえる。欧州では夜行列車が見直されて復活する流れとなっている中で、我が国においても夜行列車の復権を願ってやまない。
文・写真/伊藤岳志
寝台特急「富士」は、東京駅ー西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)間を24時間かけて走っていた
(出典:旅行読売2025年8月号)
(Web掲載:2025年8月23日)