実は関東の文化の中心だった!古墳大国ぐんま
1万3000基以上という東日本最大級の古墳大国であり、東国文化の中心として栄えた群馬。 古墳や岩宿(いわじゅく)遺跡の出土品、上野三碑(こうずけさんぴ)の文字が現代の我々に何を語りかけているのだろうか。
今年、世界文化遺産に登録された百舌鳥(もず)・古市古墳群(大阪府)に代表される古墳は西日本に多い。東日本では群馬県に古墳が多く存在するのには訳がある。
群馬県は4世紀から6世紀にかけての古墳時代に「上毛野国(かみつけぬのくに)」と言われ、肥沃な土壌と豊富な水を生かした農業が盛んだった。5世紀後半からは馬の生産が始まり、ヤマト王権と結んだ豪族が力を持った。
そのため、豪族の墓である古墳が多数造られ、鏡や勾玉などの装身具とともに埋葬された。古墳の周囲には、人や馬の形、円筒形など多様な埴輪(はにわ)が並べられた。その目的は聖域を守るためで、後に儀式の様子の再現など、権力を誇示する象徴となった。埴輪は文献がほとんどない古墳時代の風俗を知る手がかりになる。
国宝や国の重要文化財に指定されている埴輪58点のうち、22点は群馬県で出土している。群馬県立歴史博物館などで、じっくり見学しよう。「笑う埴輪」のようにユーモラスな造形の埴輪もある。
群馬県には古代以前の遺跡もある。岩宿遺跡(みどり市)で発見された黒曜石の尖頭器は、旧石器時代の日本列島に人が住んでいたことを裏付けた。
7世紀から8世紀に造られた上野三碑(高崎市)は、「群馬」の地名が出てくる史料としては県内最古。2017年にユネスコ「世界の記憶」に登録された。
<問い合わせ>
群馬県観光物産課 ℡027・226・3386
群馬県東国文化推進室 ℡027・226・2525
(出典 「旅行読売」2019年11月号)
(ウェブ掲載 2019年10月11日)