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【おうちで南極体験】極地で食べた流しそうめん――元越冬隊長の南極物語

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【おうちで南極体験】極地で食べた流しそうめん――元越冬隊長の南極物語

流しそうめんを楽しむ(22次隊/1981年)

南極クルーズ&オンライン説明会の詳細はこちらから。


1月29日は何の日かご存知ですか? 昭和32年(1957年)のこの日、日本の南極観測基地「昭和基地」が開設されたことにちなんで、「南極の日 昭和基地開設記念日」とされています。気象や地球などに関する研究を行っている南極観測隊ですが、私たちの生活にあまり馴染みがないと思っている人も多いのではないでしょうか。

実は、オゾンホールを世界で最初に発見したのは日本とイギリスの観測隊です。案外、観測隊の研究は私たちの暮らしに関わりがあるのです。

今回は、南極観測隊の越冬隊に3回(15次隊、22次隊、34次隊)参加し、隊長・副隊長を務めた経験を持つ佐藤夏雄名誉教授(国立極地研究所元副所長・現特別客員研究員)に、越冬隊の生活と当時の思い出をうかがいました。


佐藤夏雄名誉教授(国立極地研究所元副所長・現特別客員研究員)

南極でフレンチのフルコース! 伊勢エビ、フグに舌鼓!

越冬隊のメンバーは、研究者と基地を維持する人で構成されます。基地を維持する人とは、例えば医師や料理人、発電などの設備を管理する人などです。隊員数はその時のプロジェクトによって多少変わりますが基本的には30数名で、約1年間、任務を遂行しながら昭和基地で生活を送ります。

隊員たちの生活の中での楽しみは食事です。食材は1回で1年分を運び、日本からだけでなく、途中で寄港するオーストラリアからも積み込みます。最近は冷凍技術が格段に進歩していますし、食材は質も良く豊富。プロの料理人が作るので料理はとてもおいしいです。

私が一番感激したのは、最初に越冬隊に参加した15次隊(1973~75年)でした。当時はまだ大学院の学生でしたから、普段そんなにいいものを食べていないわけです。ところが越冬隊に参加したら、分厚いステーキや丸々と太ったロブスター、さらにフグ刺しにフグちり…。高級料理がたくさん出てきたので嬉しくて、ありがたかったのを覚えています。

焼き魚やカニまで!(15次隊/1974年)


ところで、私はフランス隊とロシア隊にも参加したことがあります。国によって一番違うのはやはり食事です。それぞれ自国の料理が出されるのですが、フランスの食事は本当に素晴らしかったです。昼と夜、毎日フルコース。その時は国立極地研究所に入所してすぐのまだ若い頃だったので、フランス料理のフルコースを食べた経験がなく、チーズの種類の多さやデザートの充実ぶりに驚きました。

一方、ロシア隊は、フランス隊とは対照的で本当に質素。献立は粟や稗(ひえ)としょっぱいもの。多分、長持ちをさせるために塩分を濃くしているのでしょう。唯一、おいしかったのはボルシチ。それ以外は、本当にしょっぱかったです(笑)。

食事風景(34次隊/1993年)

基地では生活を楽しくする工夫が盛りだくさん!

隊長と料理人を除いた越冬隊員たちは、本職以外に生活を楽しくするための役割があります。そのひとつが、レクリエーション委員です。レクリエーション委員は、月に1度、バーベキューや綱引き、ソフトボール大会などを企画します。ちなみに、このほかの役割は人工光源でプチトマトやキュウリなどを育てる「農協さん」、夕食後の映画鑑賞の時間にソフトクリーム用意する「ソフトクリーム係」などがあります。

月末にはケーキを作って誕生会を開きます。また、基地の近くでちょうどいい氷山を見つけてきて流しそうめんも行いました。南極は寒くてすぐに凍ってしまうので、水ではなくお湯と一緒にそうめんを流します。ですから、流し初めの部分は温かいですし、最後の方はガチガチに凍ってきてしまうので、ちょうどいいのは中間。どこに座るか、右側か左側か、場所取りも大事です。

綱引き大会を開催(34次隊/1993年)


滞在期間中、ミッドウィンター祭という行事があります。日本で言えば夏至、南極では冬至に当たる6月20日前後に3日間かけて盛大に開かれ、日本だけでなく、南極の基地全体で行われる国際的な行事です。この日の料理はフレンチのフルコースが振る舞われ、ウェイターを務める人は正装して場を盛り上げます。そうそう、握り寿司も並びました。開催日の6月20日前後は南極に着いて約半年になるので、たっぷり遊んで息抜きをして後半に備えるわけです。

15次隊の時は、コメディアンの小堺一機さんのお父様が料理人として参加していました。とても面白い方で、アイデアマンでもありました。確か、バーベキューを最初に始めたのは小堺さんだったと記憶しています。ニックネームを付けるのが好きで、仕草や日頃の行動を見て隊員にニックネームをつけていましたね。私はヒゲと髪を伸ばし放題にしていたので「クマ」と名付けられました(笑)。彼は寿司職人でしたから、15次隊は寿司が頻繁に出ていました。

連絡手段は電報からネットへ。日本との通信もラクラク

私が参加していた頃と現在で、隊員の生活環境で最も違うのは通信手段です。15次隊の頃は日本との連絡手段は電報でした。いわゆる無線電報、モールス信号で送るものです。このシステムは高い周波数の電波を発して電離層に反射させて遠くに飛ばします。電離層は私の専門のオーロラと関係が深く、強いオーロラが現われた時は電離層が乱され、電報が通じなくなってしまうのです。非常に見事なオーロラが出現して私が喜んでいる時は連絡がつかなくなるということなので、結構、嫌味を言われました(笑)。

34次隊(1992~94年)の時は人工衛星を使った船舶電話になり、電話やFAXで連絡がとれました。10年後には、静止衛星を使ってインターネットもつながり、現在は各自、部屋でネットを使って家族とコミュニケーションがとれるまでになりました。通信に関しては雲泥の差です。

現在の昭和基地の風呂場
現在の昭和基地のトイレ
現在の昭和基地の散髪室

無数のペンギンに豊穣な海を感じ、氷山ブルーに時を忘れる

観測隊員としてだけでなく、クルーズでも南極へ行っています。よく見どころを聞かれるのですが、真っ先に思い浮かぶのはペンギンです。自然の中で卵を産んでヒナをかえすペンギンの姿は、動物園で見るペンギンとは生命力が全く違います。群れをなすペンギンは無数で、一帯が真っ黒に見えるほど。それほどの数のペンギンが生存できる餌が南極の海にはあるということですから、いかに豊饒かというのも感じますね。

海に浮かぶ氷山も見逃せません。氷山ブルーと呼んでいるのですが、氷山の窪みに光が反射して、ブルーに見えるのがとても好きです。その色合いはなんとも言えず美しく、見ていて飽きることはありません。

2022年の南極クルーズにも参加する予定です。ぜひ、みなさんもご自身で南極の自然を体感してください。南極でお会いしましょう。

美しい氷山ブルー



写真提供(すべて):佐藤夏雄氏
WEB掲載:2021年1月29日

たびよみの南極記事特集「わたしの南極物語」はこちらから。


佐藤 夏雄(さとう なつお)
1947年新潟県上越市出身。理学博士(東京大学)、国立極地研究所名誉教授。研究分野は「オーロラの南北半球比較」。
南極観測隊には、越冬隊に3回(15次隊、22次隊、34次隊 ※隊長兼越冬隊長)、夏隊に1回(29次隊 ※副隊長兼夏隊長)参加している。また交換科学者としてフランスとソ連の南極観測隊(ともに夏隊)にも参加、2012年より現職。南極クルーズにも4回参加している。
主な著書に『暁の女神「オーロラ」 南極ってどんなところ?』(朝日新聞社/2005年)、『ELF/VLF自然電波 南極・北極の事典』『オーロラの物理 南極・北極の百科事典』(ともに丸善/2004年)、『オーロラの謎―南極・北極の比較観測』(成山堂書店/2015年)、『発光の物理:大気の発光現象(オーロラ)』(朝倉書店/2015年)がある。



Writer

たびよみ編集部 さん

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