“山峡路線”は秘境駅を結ぶ
中央アルプスをバックに大田切川鉄橋を渡る飯田線(田切―大田切駅間)
旅の序章は劇的な車窓展開
木曽谷と伊那谷を隔ててそびえる中央アルプス。その主峰の一つ、宝剣岳(標高2931㍍)の直下に広がる千畳敷カールを訪ねる鉄道旅。バスとロープウェイも利用するため、標高2600㍍にあるとはいえ気軽に出かけられ、涼感を誘う高山植物が迎えてくれる避暑地だ。
名古屋駅を出発した中央線。ベッドタウンにある高蔵寺駅を過ぎると人家は途絶え、次の定光寺駅では一変して緑豊かな庄内川の山峡となる。劇的な車窓展開が、中央線の序章を楽しませてくれる。
中津川駅から先は進行左側の座席がおすすめだ。次第に木曽川が近付き、藪原駅まで約60㌔にわたり進行左側を流れるためだ。
中山道の木曽11宿のうち、野尻宿から贄川宿までの8宿は、同名の駅がある。宿場がそのまま現在の中心集落になり、平地の少ない木曽路の土地柄を表わしている。
渓谷沿いの宿場を結びながら
大桑駅を過ぎると進行方向に、木曽駒ヶ岳など中央アルプスの主峰が姿を見せ始める。初夏はまだ山頂付近が冠雪しているので、比較的容易に見分けられる。目的地である千畳敷カールは、その山塊の裏手側にある。
倉本駅を出て約4分後、左窓に木曽路の名所「寝覚の床」が見える。花こう岩でできた岩盤を、川の流れが長い年月をかけて浸食したもの。幾何学的な形の岩が織り成す渓谷美が見事だ。龍宮城から戻った浦島太郎が、ここで玉手箱を開いたという伝説がある。
藪原駅の先の鳥居トンネル(全長2157㍍)で、中山道随一の難所・鳥居峠を越える。ここを境にして右側に寄り添う奈良井川の流れが逆になり、大分水嶺を越えたことが分かる。
鳥居峠の下、奈良井駅で降りると駅前から奈良井宿が広がっている。11宿で最も標高が高く、難所の峠を越えた旅人や、これから峠に挑む旅人らが一夜の宿を求めたという。そのため旅籠や店は多く「奈良井千軒」と称され、今も当時の町並み風情を留めている。
この先、中央線は塩尻駅で乗り換え、辰野駅から飯田線に入る。諏訪湖から流れ出る天竜川の流域をたどり、広々とした伊那盆地へと進んで行く。V字谷が続いた木曽路とは対照的で、晴れていれば進行右側に中央アルプス、左側に南アルプスが迎えてくれる。
氷河が生んだ絶景
千畳敷カールへの玄関口である駒ケ根駅で飯田線を降り、バス45分ほどで着くしらび平で駒ヶ岳ロープウェイに乗り継ぐ。
ロープウェイは次第に高度を上げ、中央アルプスの山麓が下方へ、また伊那盆地の奥に南アルプスの稜線が見えてくる。気軽とはいえ、急激に高度を上げるため高山病に注意したい。飲酒や激しい運動は控え、水分を多めに取ることが予防策となる。標高2612㍍の千畳敷駅まで約7分30秒、約950㍍の高低差は日本一だ。
千畳敷は氷河の浸食でできたカール状の地形で、剣ヶ池などを巡る1周約50分の遊歩道がある。一帯は高山植物の宝庫で、約130種の高山植物が6月下旬~8月下旬を見頃に咲き誇る。
満天の星に迎えられ
泊まりは、千畳敷駅に併設するホテル千畳敷へ。麓に広がる早太郎温泉に宿を求めてもよかったが、できるだけ高所で星空観賞を楽しみたかったからだ。
ホテル千畳敷を運営する中央アルプス観光の澤村大樹さんは、「周囲の明かりや塵などの不純物の少ない千畳敷は、星空の絶景スポット。ここでしか見られない星空をご堪能ください」と、山上での一夜の魅力を話す。晴天時であれば下の写真のような世界が広がる。
山峡を分け入り秘境駅を結ぶ
翌日、駒ケ根駅から再び飯田線の旅へ。復路は塩尻駅経由ではなく、所要時間は少し長くなるが一路南下し豊橋駅経由を選んだ。秘境駅をたどるためだ。
列車は天竜川の河岸段丘を南下し、左右に中央・南アルプスの峰々を見ながら走る。伊那大島駅付近では、塩見岳や荒川岳といった、南アルプスの重鎮ともいえる3000㍍峰が顔をのぞかせる。
盆地状の地形は天竜峡駅から一変し、天竜川の渓谷風景となる。天竜峡―三河川合駅間の約70㌔は、昭和初期に三信鉄道として開通した所。この区間だけで橋が97、トンネルが171もあり、当時は「信州の地下鉄」と称された。それだけにトンネル間に垣間見える渓谷美は秀逸だ。
険しい場所を走る路線のため、金野駅、為栗駅など周辺に集落のない「秘境駅」が多いのも飯田線の特徴。特に小和田駅は全国的にも人気の高い秘境駅である。古い木造駅舎が立ち、駅周辺には人家や車の通れる道路すらなく、深山幽谷の気配に満ちている。
そんな乗降客のほとんどいない駅にも、普通列車は停車していく。車窓から眺めるだけでも秘境ムードは感じられる。実際に降りて体感したいところだが、1泊旅ではなかなか難しい。仮に小和田駅に16時01分に着いて降りると、次は17時49分発。名古屋駅には夜遅い到着となる。これをよしとするのであれば、ぜひ秘境駅で降りてほしい。日を改めて青春18きっぷを使い、秘境駅巡りを目的に鉄道旅を楽しむのも一興である。
(出典「旅行読売」2021年7月号)
(ウェブ掲載2021年8月5日)