湖国に梵鐘が響く音風景
三井の晩鐘は冥加料800円。鐘を1回撞くことができ、特別御朱印「三井晩鐘」と由来書「三井寺の鐘」が授与される
広重ゆかりの情景
琵琶湖の南西に位置する長等山に夕闇の迫る頃、遠くから入相の鐘が鳴り響く―。歌川広重の名所絵「近江八景」のうち、「三井晩鐘」に描かれた情景である。
三井の晩鐘は日本三名鐘の一つ。その音の美しさから「姿の平等院」「銘の神護寺」と並んで「声の三井寺」とも言われ、「残したい〝日本の音風景100選〟」にも選ばれている。すばらしい響きを耳にするだけでなく、実際に鐘を撞けると聞いて、三井寺を訪ねた。最寄りの京阪石山坂本線三井寺駅から琵琶湖疏水を経て、歩くこと10分。両脇に仁王像の立つ大門(仁王門)をくぐった。
![大門(仁王門)は徳川家康から寄進されたもの。国の重要文化財](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/727a3728cb36c7992214c64ec790e430e540da83.jpg)
広重が描いた晩鐘と同じ
天台寺門宗の総本山である三井寺の正式名称は、長等山園城寺。672年の壬申の乱後の創建と伝わり、平安時代に智証大師円珍が天台別院として中興。長等山中腹に広大な敷地を有し、大門から入ると正面に見えてくる金堂をはじめ、多くの伽藍が国宝や重要文化財に指定されている。
目当ての鐘楼は金堂の南東に立っている。桃山様式の鐘楼に吊るされた梵鐘は高さ208㌢、口径124㌢、重さ2.5㌧。鋳造は1602年とあるから、広重が描いた「三井晩鐘」と変わらぬ鐘だ。今も毎夕、大津市街にその音を響かせているという。さっそく撞いてみることにしよう。
![国宝の金堂は入母屋(いりもや)造り、檜皮葺き。豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)によって再建された](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/a153e69b4a822640447689316872a889e4aa8ac5.jpg)
年間約1万人もが撞く鐘
鐘楼の中に入って間近で見ると、梵鐘の重厚感に圧倒される。撞木を何度か引き、勢いをつけて撞座へと放つ。と、体が音の波を浴びた。ゴオォォォーン……。余韻が長くのびていく。優しい音だなあと思っていると、「少し弱かったでしょうか」と事務長の角克也さんに声をかけられた。特別に角さんに撞いてもらうと、なるほどこれが「声の三井寺」かと納得の、力強く澄んだ音が響き渡った。
「年間1万人ほどがこの鐘を撞かれます。境内にいると、意外な場所できれいに聞こえてきたりするんですよ。私は雨の日に響く音も好きですね」と角さん。三井の晩鐘はラ(A)の音の4分の1ほど低い音で鳴るが、例えば風向きによっても響き方は異なる。場所を変え、季節を変え、何度も聞きたくなる音なのだ。
梵鐘の製造が国内で始まったのは仏教伝来後の飛鳥時代とされ、ピークを迎えたのは江戸時代のこと。大陸由来の梵鐘は、余韻が長く、ほどよくうなる日本人好みに変化していった。鐘の口径や厚さ、銅と錫の配合、撞木の材質が鐘の音を決めるそうだが、音は風土と結びついているものだから、鐘楼のある場所も重要だ。三井の晩鐘もこの先何百年と、大津の地でこの音を響かせるのだろうか。
![1602年建造の鐘楼は国の重要文化財。切妻造り、檜皮葺(ひわだぶ)き](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/5b5449cce01271d978f92bac0a429c852bda7cf9.jpg)
広大な境内で梵鐘に耳を澄ます
境内でもう一つ聞いておきたい音がある。金堂西側に立つ閼伽井屋の中から、コポコポコポリと水の湧く音がする。三井寺の名の由来となった三井の霊泉だ。天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いたとされている。絶え間ない水音にしばらく耳を傾けていると、誰かの撞いた梵鐘の音が重なった。
霊鐘堂には三井の晩鐘の先代にあたる弁慶鐘、通称「弁慶の引摺り鐘」が安置されている。奈良時代の梵鐘で、国の重要文化財。山門(比叡山延暦寺)と寺門(三井寺)の争いという、苦難の歴史を感じさせる傷痕が印象的だ。
一切経蔵や唐院を経て、本寿院 ながら茶房でひと休み。信楽焼の器で、滋賀県産の煎茶やほうじ茶がいただける。抹茶餡の入った葛餅を口にすると、ぷるぷるの食感と朝宮茶の香りに満たされた。
境内南側の高台にある観音堂は、西国三十三所観音霊場の第十四番札所として知られている。さらに石段を上った先の展望台から、境内の向こうに大津市街や琵琶湖を一望。「除夜の鐘は大津京駅でも聞こえるようです。1.3㌔ほど先ですね」という角さんの言葉を思い起こす。
さて、400年の昔はどのあたりまで響いたのか。琵琶湖の湖岸は今よりも三井寺寄りにあった。想像の翼を広げていると、遠くから梵鐘の音が聞こえてきた。
文/内山沙希子 写真/谷口 哲
![弁慶鐘。武蔵坊弁慶が三井寺から奪い比叡山へ引き摺り上げたという伝説が残る](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/755b2a76d82883a73eed5c406f3a276a77efcfed.jpg)
![閼伽井屋内部に見える三井の霊泉。閼伽とは仏に供える水のこと](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/d7079ba8ca02c92118b9c84d6ec213612b5a40c8.jpg)
![三井寺鐘みくじ200円。鐘みくじを1枚引いて水につけ、浮き上がった番号のおみくじと三井寺百景絵札をもらう](https://tabiyomi.yomiuri-ryokou.co.jp/uploads/2021/10/20/f1007255bfe8ed087423f0e179045ebe75dd4fc3.jpg)
聴いてみよう! 三井の晩鐘
<問い合わせ>
三井寺
TEL:077-522-2238
(出典「旅行読売」2021年6月号)
(ウェブ掲載2021年11月5日)