湖国に梵鐘が響く音風景
三井の晩鐘は冥加料800円。鐘を1回撞くことができ、特別御朱印「三井晩鐘」と由来書「三井寺の鐘」が授与される
広重ゆかりの情景
琵琶湖の南西に位置する長等山に夕闇の迫る頃、遠くから入相の鐘が鳴り響く―。歌川広重の名所絵「近江八景」のうち、「三井晩鐘」に描かれた情景である。
三井の晩鐘は日本三名鐘の一つ。その音の美しさから「姿の平等院」「銘の神護寺」と並んで「声の三井寺」とも言われ、「残したい〝日本の音風景100選〟」にも選ばれている。すばらしい響きを耳にするだけでなく、実際に鐘を撞けると聞いて、三井寺を訪ねた。最寄りの京阪石山坂本線三井寺駅から琵琶湖疏水を経て、歩くこと10分。両脇に仁王像の立つ大門(仁王門)をくぐった。
広重が描いた晩鐘と同じ
天台寺門宗の総本山である三井寺の正式名称は、長等山園城寺。672年の壬申の乱後の創建と伝わり、平安時代に智証大師円珍が天台別院として中興。長等山中腹に広大な敷地を有し、大門から入ると正面に見えてくる金堂をはじめ、多くの伽藍が国宝や重要文化財に指定されている。
目当ての鐘楼は金堂の南東に立っている。桃山様式の鐘楼に吊るされた梵鐘は高さ208㌢、口径124㌢、重さ2.5㌧。鋳造は1602年とあるから、広重が描いた「三井晩鐘」と変わらぬ鐘だ。今も毎夕、大津市街にその音を響かせているという。さっそく撞いてみることにしよう。
年間約1万人もが撞く鐘
鐘楼の中に入って間近で見ると、梵鐘の重厚感に圧倒される。撞木を何度か引き、勢いをつけて撞座へと放つ。と、体が音の波を浴びた。ゴオォォォーン……。余韻が長くのびていく。優しい音だなあと思っていると、「少し弱かったでしょうか」と事務長の角克也さんに声をかけられた。特別に角さんに撞いてもらうと、なるほどこれが「声の三井寺」かと納得の、力強く澄んだ音が響き渡った。
「年間1万人ほどがこの鐘を撞かれます。境内にいると、意外な場所できれいに聞こえてきたりするんですよ。私は雨の日に響く音も好きですね」と角さん。三井の晩鐘はラ(A)の音の4分の1ほど低い音で鳴るが、例えば風向きによっても響き方は異なる。場所を変え、季節を変え、何度も聞きたくなる音なのだ。
梵鐘の製造が国内で始まったのは仏教伝来後の飛鳥時代とされ、ピークを迎えたのは江戸時代のこと。大陸由来の梵鐘は、余韻が長く、ほどよくうなる日本人好みに変化していった。鐘の口径や厚さ、銅と錫の配合、撞木の材質が鐘の音を決めるそうだが、音は風土と結びついているものだから、鐘楼のある場所も重要だ。三井の晩鐘もこの先何百年と、大津の地でこの音を響かせるのだろうか。
広大な境内で梵鐘に耳を澄ます
境内でもう一つ聞いておきたい音がある。金堂西側に立つ閼伽井屋の中から、コポコポコポリと水の湧く音がする。三井寺の名の由来となった三井の霊泉だ。天智・天武・持統の三天皇の産湯に用いたとされている。絶え間ない水音にしばらく耳を傾けていると、誰かの撞いた梵鐘の音が重なった。
霊鐘堂には三井の晩鐘の先代にあたる弁慶鐘、通称「弁慶の引摺り鐘」が安置されている。奈良時代の梵鐘で、国の重要文化財。山門(比叡山延暦寺)と寺門(三井寺)の争いという、苦難の歴史を感じさせる傷痕が印象的だ。
一切経蔵や唐院を経て、本寿院 ながら茶房でひと休み。信楽焼の器で、滋賀県産の煎茶やほうじ茶がいただける。抹茶餡の入った葛餅を口にすると、ぷるぷるの食感と朝宮茶の香りに満たされた。
境内南側の高台にある観音堂は、西国三十三所観音霊場の第十四番札所として知られている。さらに石段を上った先の展望台から、境内の向こうに大津市街や琵琶湖を一望。「除夜の鐘は大津京駅でも聞こえるようです。1.3㌔ほど先ですね」という角さんの言葉を思い起こす。
さて、400年の昔はどのあたりまで響いたのか。琵琶湖の湖岸は今よりも三井寺寄りにあった。想像の翼を広げていると、遠くから梵鐘の音が聞こえてきた。
文/内山沙希子 写真/谷口 哲
聴いてみよう! 三井の晩鐘
<問い合わせ>
三井寺
TEL:077-522-2238
(出典「旅行読売」2021年6月号)
(ウェブ掲載2021年11月5日)