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旅へ。(第18回 松江と小泉八雲)

場所
> 松江市
旅へ。(第18回 松江と小泉八雲)

松江市内の小泉八雲旧宅。武家屋敷は松江城の濠(ほり)に面している

 

国譲り神話は和譲の精神 「違い」を超え、松江で過ごした八雲とセツ

出雲(いずも)の国の山鳩(やまばと)は「テテポッポ、カカポッポ」と鳴くという。「テテ」は父さん、「カカ」は母さん。明治の文豪・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/1850年〜1904年)は「あのこえききますか、おもしろいですね」と妻のセツを呼び、よく真似してみせたという。

アイルランド人の父、ギリシャ人の母の間に生まれた八雲は明治23(1890)年に来日し、島根県松江市の中学で英語を教えた。同市滞在は1年半ほどだったが、閑静な武家屋敷で過ごした日々が忘れられなかったようだ。庭のコケむした石灯籠、緑の築山、池のカエルや亀を愛し、縁側に腰かけ、夫婦がいたわりあうような山鳩の声に耳を澄ましたという。

セツは古本屋で探した怪異の伝承を夫に読み聞かせたが、八雲から「本を見る、いけません。あなたの言葉、考(かんがえ)でなければ、いけません」と言われ、悪夢にうなされたこともあったという。セツは異国に暮らす八雲を支えた。名著『怪談』は夫婦の共著である。孫の小泉時の著書『ヘルンと私』によると、夫宛ての手紙は「シンセツノパパサマ。セカイ、イチバンノ、パパサマ」と始まる。「スコシ、モ、ビヤウキ、アリマセヌカ。タベモノ、オツカレ、アリマセヌカ」。片言の日本語には、夫婦の情愛がにじんでいた。

八雲は目が悪く、書が読みやすいように、書斎の机を高くした。窓の外には庭が広がる

松江を「神々の国の首都」と八雲は言った。旧暦10月は神無月(かんなづき)だが、出雲の国は神在月(かみありづき)。全国の神々は「首都」を目指し、国の安寧、豊作、縁結びを話し合う。天照大神に国を譲った大国主命は幽界の王に祭られ、天に聳(そび)える社が建てられた、と古事記にある。出雲大社からは、現在の2倍相当、高さ48㍍の巨大神殿を支えた柱が発掘されている。国譲り神話は和譲の精神。国が違い、民族が違い、言葉が違っても、人はわかり合える。寛容、共生の心を今に伝える。

夕暮れ時、宍道湖(しんじこ)が茜(あかね)色に染まる光景が、八雲は好きだった。神話の国は太古から、ゆったりと時が流れ、現代の松江、出雲は暮らしやすい街の上位に選ばれている。自然も、歴史も、人も優しい。秋が深まり、静かな湖畔にたたずんでいると、どこからともなく、哀愁を帯びた鳴き声が聞こえてきた。テテポッポ、カカポッポ……。

 

(出典:「旅行読売」2021年12月号)

(Web掲載:2021年11月23日)

Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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