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旅へ。(第14回)

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> 深谷市
旅へ。(第14回)

ドラッカーも高く評価 営利と道徳の両立説いた渋沢栄一

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(岩崎夏海著)は、普通の女子高生が弱小野球部を経営学の手法で奮い立たせ、奇跡を起こす物語だ。2009年の「もしドラ」は300万部超えのベストセラーとなったが、現代経営学の泰斗、ピーター・ドラッカーが日本の資本主義の父と言われる渋沢栄一(1840〜1931年)を高く評価していたことは、あまり知られていない。

埼玉県北部の深谷市、渋沢の生地の辺りは血洗島(ちあらいじま)と呼ばれる。山の神が戦い、傷を癒やした。洪水の地洗いが血洗いに。物騒な地名の由来はさだかでないが、この地で盛んだった藍の取引で商いを学んだ若者は、多くの血が流れた幕末を生き、「一滴一滴のしずくが大河になる」と日本初の銀行を設立した。故郷で学んだ「論語」が精神に染み込んでいたのだろう。

三菱財閥の岩崎弥太郎に「二人で実業界を動かそう」と誘われたが、「独占は利己的行為」と席を立った。500を超す企業などの設立に携わった渋沢を、ドラッカーは「ロスチャイルド、モルガンを凌ぎ、世界の誰よりも早く、経営の本質は責任と見抜いた」と絶賛したが、営利と道徳の両立を説き、わがままで、欲深い資本主義に良心と良識、人の温もりを教えた功績は大きい。

信念の人でもあった。東京・飛鳥山(あすかやま)の邸宅で窮民救済の陳情を受けた90歳の渋沢は、「最後のお務め」と病床から役所に向かった。91歳で没する数日前には、「敬三さんを頭取にします」と言う銀行首脳を「孫だからというなら、余計なこと」と叱りつけた。日銀総裁、大蔵大臣を務めた、その渋沢敬三は戦後、「私自身を含め、指導者は万死に値する罪びと」と戦争責任を認め、財産税を納めるために邸宅を手放し、財閥解体にも従った。「ニコニコしながら没落する」と運命を受け入れたのである。

ドラッカーの「責任」は軽んじられ、資本主義が揺らいでいる。世界の上位1%の人の富が残り99%の総額を上回り、7億3000万人が1日200円未満で暮らすという。もし渋沢がこの圧倒的な格差を知ったなら――。「老いぼれがお役に立つなら」と杖で体を支え、よろよろと立ち上がる姿が目に浮かぶ。その眼差しは厳しい。

渋沢栄一記念館(深谷市)では、リアルなアンドロイドが「道徳経済合一説」を講義する(写真/深谷市)

メイン写真は、渋沢栄一の生地である旧渋沢悌「中の家(なかんち)」

(旅行読売2021年8月号掲載)

(WEB掲載2021年8月7日)

Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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