旅へ。(第13回 谷中と笠森お仙)
熱狂、炎上、失踪……江戸期のアイドル「笠森お仙」
地元を愛する主婦3人が下町の魅力を再発見した地域誌「谷中・根津・千駄木(やなか・ねづ・せんだぎ)」は25年の歴史を刻んで、2009年、その役割を終えた。地元の小さな図書館で、「谷根千(やねせん)」と親しまれた創刊号を手にすると、江戸から伝わる手毬唄が巻頭ページを飾り、笠森お仙の物語に光を当てていた。
向こう横丁のお稲荷(いなり)さんへ 一銭あげて ちょっとおがんで お仙の茶屋へ 腰をかけたら 渋茶を出した 渋茶よこよこ横目で見たら 米の団子か 土の団子か……
浮世絵師・鈴木春信は明和5(1768)年、谷中にあった笠森稲荷近くの水茶屋で、美しい看板娘と出会った。お仙をモデルにした錦絵は江戸っ子をとりこにし、茶屋には大勢のファンが押しかけた。浅草の柳屋お藤とのライバル対決の錦絵が熱狂を煽り、絵草紙、双六(すごろく)、手拭いなどのキャラクターグッズは飛ぶように売れ、芝居も大当たり。ざわめいたのは、男たちだけではない。ファッションリーダーにあこがれる女たちも、お稲荷さんに土団子で願を掛け、成就したら米の団子をお供えしたという。手毬唄(てまりうた)は関東、東北地方まで広がり、現代なら、マーケティング戦略の成功ともてはやされたに違いない。
錦絵デビューから2年後、彼女は忽然(こつぜん)と姿を消した。客と駆け落ちした。殺人事件に巻き込まれた――様々な臆測が飛び交い、江戸っ子たちは根も葉もない噂(うわさ)話を面白がった。美人画から一転して、悪意に満ちた錦絵が売り出され、彼女は何を思っただろうか。SNSの誹謗(ひぼう)中傷、炎上に耐える今日のアイドルの孤独な姿を思い浮かべてしまう。
実は、失踪(しっそう)は結婚によるものだった。お仙は幕府の旗本と結ばれ、子をもうけ、77歳の人生を全うしたという。大人たちの欲や思惑を振り切って、平凡な人生を送ったのかなと思うと、少しほっとする。
谷中の三崎坂をのぼって、お仙の茶屋の辺りで古民家カフェと出合った。「のんびりや」の暖簾(のれん)が風にそよぎ、微かに香の匂いが漂ってきた。寺の町には、やはり静かな茶屋が似合う。谷根千からの帰り道、「夕やけだんだん」から眺めた空は茜(あかね)色に染まっていた。
(旅行読売2021年7月号掲載)
(Web掲載:2021年7月2日)
谷中の夕焼けだんだん