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旅へ。(第17回 那須と昭和天皇)

場所
> 那須郡
旅へ。(第17回 那須と昭和天皇)

那須平成の森には、手つかずの自然が残っている

 

昭和天皇の思い息づく那須の森

昭和天皇の侍従長だった入江相政(いりえすけまさ/1905年〜1985年)は歌人、随筆家でもあった。彼が編纂した「宮中侍従物語」に、こんなエピソードが残されている。昭和天皇が栃木県・那須御用邸に滞在中、職員が皇居・吹上御所に生い茂った草を刈り取った。帰京後に「どうして刈ったのか」と問われ、「雑草が……」と入江が答えると、思いがけない言葉が返ってきた。「雑草ということはない」。すぐには理解できずにいると、昭和天皇は続けた。

「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方で、これを雑草と決めつけてしまうのはいけない」

最後に御用邸で記者とお会いになったのは、昭和63(1988)年9月2日。その場に、私もいた。突然の開腹手術から1年、数日前に発熱したと聞いていたのだが、「風邪は良くなったから安心してもらいたい」と思いのほかお元気のようだ。那須の感想を求められると、「植物のことを深く知ることができ、うれしかった」と表情が緩んだように見えた。

那須は皇室とのゆかりが深い。明治の華族は那須野が原に農園を開拓し、栃木県令を務めた三島通庸(みちつね)は大正天皇に別邸を献上した。昭和天皇も皇太子時代にこの地を旅し、那須連山の稜線(りょうせん)が青空に浮かぶ眺望に魅せられたという。御用邸の竣工は大正15(1926)年。敷地の半分が環境省に移管され、10年前、那須平成の森が一般公開された。初秋の那須は澄んだ空気が心地良く、熊よけの鈴を鳴らしながら歩いていると、昭和最後の記憶がよみがえってくる。昭和天皇はやはり風邪ではなかった。帰京直後に体調を崩され、私の宮内庁に泊まり込んでの闘病取材は111日に及んだ。翌年の1月7日、昭和終焉の日も記者クラブで迎えることになった。

学者との共同研究「那須の植物誌」(生物学御研究所編)には1617種の植物の名前が記録され、昭和天皇が序文を寄せている。

「那須に来ると、いつも私は自然が生きているように感じる。動物や植物が、いつまでも静穏な環境の中で、その生を営むことができるように祈ってやまない」

33年ぶりの那須の森には、昭和天皇の思いが今も息づいていた。

 

(掲載:「旅行読売」2021年11月号)

(Web掲載:2021年11月19日)


Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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