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旅へ。(第16回)

場所
> 香取市
旅へ。(第16回)

五十路からの第二の人生 日本地図を作った伊能忠敬

70歳定年の時代という。人生100年、新しいスキルを学び直せ――。長寿社会への備えという事情は理解できる。しかし、「余生などと呑気(のんき)なことを言っている場合ではない」と尻を叩かれているようでもあり、高齢者の仲間入りをした私にとっては、なんとも居心地が悪い。

井上ひさしの小説『四千万歩の男』は江戸時代に日本地図を完成させた伊能忠敬の物語である。前半生は経営者。17歳で入り婿になった商家の資産を大きく増やしたというから、やはり商才があったのだろう。50歳で引退。江戸では19歳年下の師匠の門弟となって天文学や測量を学び、55歳から17年間かけて列島の海岸線を歩き続けた。井上は「人生の達人」と称え、小説の序文にこう書いている。
「人生の山が一つから二つにふえた。われわれの大半が『一身にして二生を経る』という生き方を余儀なくされている」

長い老後をどう生きるか。迷いを抱えながら、水郷の町、佐原(千葉県香取市)を訪ねた。小野川の河岸には土蔵造りの旧家が軒を連ねる。「江戸まさり」と唄(うた)われた町の一角、忠敬旧宅の中庭に家訓書碑を見つけた。

身の上の人ハ勿論身下の人にても教訓異見あらハ急度相用堅く守るへし

年齢も身分も関係ない。新しい知識を学ばなければ時代に取り残される、ということか。測量の旅は3万5000㌔、地球一周に迫る。「一歩一歩はまことに平凡である。だが、その平凡な一歩を支えているのは感動的なほど愚直な意志である」と井上は書いている。

水郷の町、佐原に残る伊能忠敬旧宅

帰りの車中、老いの指南書をめくると、歴史に名を残した賢人たちも揺れていた。哲学者プラトンは「経験知を生かせ」と温かいが、アリストテレスは「自己中心的になり、早く引退せよ」と厳しい。迷いが深まる中で、こんな言葉に目が留まった。

老人は孤独なのではなく、毅然としている。無力なのではなく、穏やか。頭の回転が鈍いのではなく、思慮深いのだ。(一条真也『老福論』より)

そう置き換えてもらえば、少しは前向きになれる。老いと向き合い、つまらないプライドから自由になれば、険しい山は無理でも、なだらかな丘ぐらいは、とも思えてくる。

(旅行読売2021年10月号掲載)

Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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