旅へ。(第8回 皇居と皇室)
皇居の大手門
変化を恐れるな 未完の天守台が伝えるメッセージ
明暦の大火(1657年)は振袖(ふりそで)火事ともいわれる。この世に未練を残した娘の振り袖を住職が焼いて供養すると、炎の中から宙に舞い、民家に燃え移ったという。都市伝説の類だが、火は江戸の町を焼き払い、三代将軍・徳川家光が築造した五層六階の天守も焼失した。その後、再建されることはなく、皇居・東御苑の本丸には巨大な天守台の石積みが残るだけである。
東京・大手町の高層ビル群を抜け、皇居の大手門をくぐると、都心の喧騒を感じさせない静かな空間が広がっている。一般公開されている東御苑の二の丸庭園は九代将軍・家重時代の絵図面を基に復元された。春はツツジやサツキ、初夏はハナショウブ、秋は紅葉、冬はカンツバキが庭を彩る。昭和天皇の意向で再現された武蔵野雑木林を散策し、汐見坂(しおみざか)を上ると、本丸の天守台が姿を現した。大火後、ここに巨大な石垣が組まれたが、四代将軍・家綱の補佐役だった保科正之が天守再建に待ったをかけた。被災者救済と町の再興を優先したのである。将軍の叔父とはいえ、武家の伝統と格式を覆すことは容易ではなかったろう。文治へと舵(かじ)を切った会津藩の祖は、今も名君と謳われている。
昭和から平成にかけて、新聞社の社会部記者として皇室を取材してきたが、上皇陛下が4年前、生前譲位のお気持ちを吐露された時はさすがに驚いた。
「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」「健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合」「社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」
石積みの間に設けられたスロープを上りながら、皇室の伝統を一身に背負い、新しい時代に向けたお考えを示された上皇陛下の姿が脳裏によみがえってきた。
正直に言えば、生前譲位が実現するとは思ってもいなかった。上皇陛下の強い意志が、国民の心を揺さぶったのである。あの時、皇室の伝統といえども、絶対ではないと知った。変わること、変えることを恐れてはならない。それは、未完の天守台が現代に伝えるメッセージでもある。
(旅行読売2021年2月号掲載)