北条義時を知る旅へ
NHKの2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、北条義時が主人公。源頼朝が鎌倉幕府を開くのを助け、頼朝直系の源氏が滅びた後は幕府をまとめ上げ、鎌倉幕府150年の礎を築いた人物だ。ドラマがスタートするのを機に、義時を知るための旅に出た。
武家政権誕生の地に義時の影を追う
2021年12月上旬、新型コロナウイルスの感染が下火になったのを機に訪れた鎌倉は、多くの観光客でにぎわっていた。今回鎌倉を訪問したのは、2022年のNHK大河ドラマが始まる前に、主人公・北条義時(1163年〜1224年)について一足早く知りたいと思ったからだ。
とはいえ、なにぶん約800年前の人物。細かな足跡を追うことは難しいが、まずは覚園寺(かくおんじ) に向かった。覚園寺は、義時の薬師如来信仰によって建てられた大倉薬師堂が前身。初代将軍・源頼朝から第6代将軍宗尊(むねたか)親王までの歴史を記した『吾妻鏡(あずまかがみ)』によると、1218年7月、薬師如来を守護する十二神将(しんしょう)のうちの戌(いぬ)神将が義時の枕元に現れたことで、義時は薬師堂の建立を決意した。戌神将からは「来年の将軍家(実朝)の鶴岡八幡宮拝賀には供をしないように」などとするお告げがあったという。翌年の拝賀の時、義時は急に気分が悪くなったとして実朝のお供(御剣役)を辞退。この拝賀の際に実朝は甥(兄である第2代将軍頼家の子)の公暁(くぎょう)に襲撃されて殺害されたことから、義時は辞退によって難を逃れたとされる。義時の運の強さを示すエピソードといえるが、今となっては真相は不明だ。
覚園寺は、大倉薬師堂を前身に義時の子孫である第9代執権貞時が1296年に整備。現在の薬師堂は、1354年に再建されたものが元になっているが、義時の信仰心について知るうえで、覚園寺は欠かせない場所といえよう。
公暁が隠れた大イチョウの今
徒歩で、鶴岡八幡宮へ。いわずと知れた鎌倉の名所の一つだが、「義時を知る旅」という観点で訪れる時、最大の見所は大石段脇の大イチョウだろう。そう、先述の公暁が実朝と義時を狙って身を隠していたとされる場所だ。その大イチョウは2010年の強風で倒伏してしまいすぐ脇に移植されたが、大イチョウの残った根からひこばえ(幼芽)が芽生え、十余年の月日が経過した現在は幼木として育っている。〝歴史の証人〞の分身だけに今後も元気に育ってほしいものだ。
この界隈(かいわい)には、源頼朝が1180年に鎌倉入りして最初に侍所、公文所などの役所を置いた「大倉幕府跡」とされる場所(義時も政務を行っていたであろう場所)や、義時以後の執権たちが邸を構えていた場所(現在の宝戒寺)など、義時ゆかりの地が多い。頼朝の墓所に隣接した平場は義時の墳墓堂があった場所で、「法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)」として国の史跡に指定されている。
鎌倉駅の反対側に足を延ばせば、鎌倉の古代から現代までの通史を学べる場所として2017年に開館した鎌倉歴史文化交流館がある。鎌倉の地形模型に映像を投影する「ジオラマ・プロジェクションマッピング」などが見所で、2022年はNHK大河ドラマに合わせ、北条氏にスポットを当てた連続企画展を通年で開くというから楽しみだ。
同館の学芸員・志村峻さんは「義時という人物を最も知ることのできる場所は、法華堂跡でしょう。墓石があるわけではありませんが、初代鎌倉殿(頼朝)の隣に葬られたという事実は、義時の存在がいかに大きかったかを示しています。今回のドラマが、多くの人に義時に関心をもってもらうきっかけになればいいですね」と話す。
時空を超えて、歴史上の人物の実像を知ることは難しい。とはいえ、義時はその生涯の大半を鎌倉の地で過ごし、幕府政治を取り仕切った。鎌倉の各地を巡ること自体が義時を知る旅といえるのかもしれない。
【施設データ】
覚園寺:10時~16時/4月27日、8月10日、12月20日~1月7日休(いずれも通常参拝休止日、荒天休)/500円/TEL:0467-22-1195
鶴岡八幡宮:6時~19時30分(4月~9月は5時~/無休/無料/TEL:0467-22-0315
法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓):見学自由/TEL:0467-61-3857(鎌倉市教委文化財課)
宝戒寺:9時30分~16時(4月~9月は~16時30分)/無休/300円/TEL:0467-22-5512
鎌倉歴史文化交流館:10時~15時30分/日曜・祝日休、年末年始休、展示替え期間休/300円/TEL:0467-73-8501
大倉幕府跡:見学自由/鎌倉市雪ノ下3-6-26
和田塚:見学自由/鎌倉市由比ガ浜2-19-3
(旅行読売2022年2月号掲載)
(WEB掲載:2022年1月24日)