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旅へ。(第21回 知床と森繁久彌)

場所
> 羅臼町
旅へ。(第21回 知床と森繁久彌)

国後島を望む羅臼の流氷(写真/知床羅臼町観光協会)

 

流氷寄せる知床岬 凍てつく大地に立つオホーツク老人

色褪せたVHSビデオを図書館で見つけた。1960年公開の『地の涯に生きるもの』は、長い間探していた映画だ。流氷に閉ざされた冬、知床半島の漁師小屋、番屋をひとり守る彦一老人を森繁久彌(もりしげ・ひさや)が演じている。「自分のために書かれた小説」と、戸川幸夫の『オホーツク老人』にほれ込み、森繁は自分のプロダクションを設立して映画化を実現したという。辺境に生きる者の過酷な運命、厳しい自然と闘う老人の孤高の魂――。時を経て劣化した映像には、彼の熱い思いがほとばしっていた。

羅臼(らうす)ロケが行われた時、当時21歳だった川端隆さんは、役場の観光担当としてエキストラ集めに奔走した。忘れられないシーンがあるという。海から戻らぬ漁師の名を家族が叫ぶ場面だ。羅臼では突風による漁船転覆事故で、85人が犠牲になる惨事が起きたばかりだった。エキストラの村人がこらえきれず号泣する姿に、岸壁の彦一老人も泣いていた。別れの日、森繁は「人情に触れた」と言いながら、ギターを弾いて自作の『さらばラウスよ』を村人に披露した。大合唱の輪の中に、川端さんの姿もあった。加藤登紀子がカバーした『知床旅情』である。

川端隆さん

もう一つの物語がここから始まる。ロケから9年後、川端さんは知床半島を回って、西側のウトロまで、流氷の上を18日かけて歩いた。「羅臼を知ってほしい」という思いに突き動かされたのだという。知床岬の番屋で、留守番の老人と出会った。風が吹くと、海を埋めた氷はぶつかり、擦れ、切ない声で鳴くという。流氷鳴きの日々に孤独を募らせたのだろう。「もう1晩泊まってくれ」と老人に懇願され、番屋には2泊した。別れの時、彦一によく似た老人は「危ないと思ったら、すぐに戻れ。俺がここで待っている」と言った。

しおかぜ公園に立 つオホーツク老人の像(写真/知床羅臼町観光協会)

国後島(くなしりとう)を望む海岸の公園に立つオホーツク老人の像(森繁久彌像)は杖をつき、凍てついた大地を踏みしめている。「苦しみに耐え、さみしさに耐えた、強くたくましい開拓の人々の象徴」と森繁は語ったという。番屋物語は昔話になったが、川端さんは80を超えた今も、羅臼の自然を動画で発信し続けている。流氷は豊かな海の源、極寒の冬を耐えれば、やがて命輝く季節を迎える。知床の物語に終わりはない。

 

(出典:「旅行読売」2022年3月号)

(Web掲載:2022年2月25日)

 


Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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