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旅へ。(第19回)

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旅へ。(第19回)

兵庫県赤穂市の赤穂大石神社。参道には四十七士の石像が並ぶ

幕府の締め付けかわし 活況呈した『仮名手本忠臣蔵』

江戸落語中興の祖・烏亭焉馬(うてい・えんば)(1743年〜1822年)が編纂した『花江都歌舞妓(はなのえどかぶき)年代記』は、『仮名手本忠臣蔵』を〝芝居の独参湯(どくじんとう)〞と評した。万病に効く朝鮮人参の漢方を服すれば、不入りの劇場も息を吹き返すという意味である。

人形浄瑠璃での初演は、元禄15(1702)年12月14日の赤穂浪士討ち入りから、46年後のことだ。幕政批判はご法度のため、南北朝の『太平記』に擬せられた。吉良上野介は高師直(こうのもろなお)。刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は塩冶(えんや)判官。主君の仇を討った大石内蔵助は大星由良之助(おおぼし・ゆらのすけ)。47人の忠義の士をいろは47文字になぞらえて、幕府の締め付けをかわす。庶民の知恵が、絶妙に調合された薬湯を生み出したのである。

四十七士ゆかりの地を巡ると、庶民の一途な思いが浮かび上がる。播州灘に臨む赤穂は豊かな国だ。特産の塩に潤い、平時ならば、家老の大石も昼行燈(ひるあんどん)のまま一生を終えただろう。有事の宰相は戦場で本領を発揮する。うろたえる藩士を統率し、敵方との駆け引きの末に宿願を果たすが、地元の人は幕府の目を気にして、大石邸に小さな祠(ほこら)を祀り、歴史を語り継いできたという。赤穂大石神社の創建は大正元(1912)年。庶民の思いがかなうまで、実に200年余の歳月がかかったのである。

大石が隠棲した京都・山科の山中には遺髪塚が立ち、討ち入り後に姿を消した寺坂吉右衛門が大石の遺髪を持参したと伝わる。

東京・高輪の泉岳寺に建立された寺坂吉右衛門の供養塔

寺坂は83歳の天寿を全うし、江戸の寺に葬られた。徳富蘇峰(そほう)、直木三十五は卑怯者と切り捨てたが、池宮彰一郎は小説『最後の忠臣蔵』で、「生き抜くのだ。それが役目である」と大石に語らせる。生き証人として、偽りなき事実を伝えよ、と寺坂に命じたのである。仙台市の実相(じっそう)寺、滋賀県東近江市の永源寺、福岡県八女(やめ)市の一念寺、長崎県五島市の恵剣(えけん)寺……。寺坂の墓と伝説は全国に残っている。

赤穂浪士が眠る東京・高輪の泉岳寺を訪ねると、寺坂の供養塔には「遂道退身信士」の戒名が刻まれていた。道を遂げ、身を退く。四十七士の物語は、苦難の時代に生きる庶民を励まし続ける。〝独参湯〞に力をもらい、コロナ禍に明け暮れた年が終わろうとしている。


(旅行読売2022年1月号掲載)

(WEB掲載:2021年12月30日)

Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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