【旅の記憶】石川さゆりさん
旅は深呼吸。たまっていたものを吐き出す
「旅って何でしょうね」と尋ねた時、石川さゆりは即座に答えた。
「深呼吸ですよね」と。時々立ち止まり、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んで、たまっていたものを一気に吐き出す。「いい時間ももらえますし……。私が今思うのはね、旅って、その人次第かもしれない」。旅先で何を見つけられるか。すべては自分次第なのだと言う。
レコーディングした曲は2000曲以上。歌声は時に激しく、時に哀切に、時に軽やかに。石川さゆりは自らの五感を信じ、一歩一歩前に進んできた。ゆっくりと、ひたむきに――。
(※創刊45周年企画として「旅行読売」2011年2月号に掲載した記事を転載しています)
夜行列車を待つホームで開かれた祝福の演奏会
平凡な光景であっても、その人にとっては、とても素敵な光景ってありますよね。今でも忘れられない光景が私にもあるんですよ。
最近は新幹線が走って、上野駅から旅に出るって減ってきましたよね。私がデビューした頃、コンサートツアーは仙台が境でした。仙台より北に行く時は夜行列車だったんです。もちろん帰りもそう。東北の駅だったと思います。コンサートが終わって、真っ暗でさびしいホームで、ミュージシャンやスタッフたちと一緒に帰りの列車を待っていたんです。私たちのほかには若いカップルが立っているだけ。新婚だったんでしょうね。これから2人で旅行に出掛けるところでした。
すると、ミュージシャンのひとりが楽器を取り出して演奏を始めました。ほかのみんなも次々に。やがて暗いホームは音楽に包まれます。私も「おめでとう」と声をかけました。そのカップルは「幸せになります」と上気した顔で言いました。とても素敵な光景でしたね。「津軽海峡・冬景色」がヒットしたあとの出来事です。私にとっては、大切な旅の思い出です。
ごぜ唄を知りたくて新潟の出湯温泉へ
2011年3月から「夢売り瞽女(ごぜ)」の舞台が始まります。盲目の旅芸人の物語です。三味線を携えて東北の農村を巡り、ごぜ唄を歌う女性の物語です。「はなれ瞽女おりん」の著者、水上勉先生にはかわいがっていただき、「福井の実家にはごぜさんが来ていたんだよ」と教えていただきました。
先生の小説を読んで、すごいなぁ、盲目なのに芸で身を立てて生きてきた女性たちがいたんだと感動しました。いつか演じてみたい。3年前に、自分でやってみると宣言したんです。そういうことって、自分から声に出さないと、ついついずるずるといってしまって、結局は実現しない。だから宣言したのです。
小林ハルさんというごぜさんがいらっしゃいました。人間国宝です。105歳で亡くなられたのですが、その方のことを知りたくて、新潟県の出湯(でゆ)温泉に行ったことがあります。ハルさんのお弟子さんからいろいろなお話を伺って、ごぜ唄も聞かせていただきました。ひなびた温泉です。お湯につかりながら、ごぜさんたちもここで歌ったのかなぁと感慨深かったです。
舞台も歌も、必ずその場所を訪ねます。それも旅ですよね。
「津軽海峡・冬景色」「天城越え」の歌詞の風景
「津軽海峡・冬景色」の竜飛(たっぴ)岬や「天城越え」の天城隧道(ずいどう)にも何度も行きました。竜飛岬に歌碑が立った時は、作詞家の阿久悠先生が「歌は流れゆくものだと思っていたら、歌碑ができたら石になって固まっちゃった」と話されていたのを覚えています。私が「でもここに来ると、みんなに歌詞を見てもらえるんですね」と返すと、「確かにそうだね」とおっしゃっていました。
天城峠に行った時は暗いトンネルに驚きました。天城隧道ですね。私が「天城越え」を歌った頃は深い緑に覆われ、日も差さない所でした。ガードレールも設置されていません。トンネルには電気も通っていなかった。中に入ると、ポタンポタンとしずくが落ちてとても怖かった。でもあの歌がきっかけで、旅行者も増えたそうです。今ではガードレールも整備され、電気も通るようになりました。風情は変わってしまいましたけどね。
亡くなった吉岡治先生が作詞された「波止場しぐれ」の歌碑が瀬戸内海の小豆島に出来た時は、島のみなさんが応援してくれました。『二十四の瞳』(壺井栄著)以来なかなか脚光を浴びる機会がないので、小豆島の皆さんが吉岡先生に「島の歌を書いてください」と頼んできたのです。
歌詞に「浮世小路のネオン酒」とあるんですけど、実は繁華な酒場はなかったのです。でも島を訪ねると、「浮世小路」の看板が立っていました。その向こうに2軒のスナックがあったのですが、歌にあわせてくれたのでしょうね。島の方々のやさしさ、あたたかさが伝わってきました。歌っていいもんですねぇ。つくづくそう思いました。
子ども、市場、アフリカ……旅の楽しみ
仕事を離れて、家族旅行も楽しいですよね。
子どもが小さい時は夏休み、テーマを決めて旅したものです。祭りと決めたら、各地のお祭りを見て回る。動物だったら、アフリカを旅するんです。
世界中を旅して、一番好きな場所と聞かれたら「市場」と答えます。人が生きている場所です。そこが一番おもしろい。ガイドさんが危ないからやめてくれという所もあるんですけど、でも私はいきたい。いろいろなものを売り買いする。その裏にいろいろなものが見える。あの人、ちょっとずるい人なのかなぁなんて思ったりして。
旅って、発見ですよね。外国に行くと、その国の子どもたちと友達になります。
アフリカに行った時、現地の子どもたちに「日本の最初の雨はいつ降るの」と聞かれました。「えっ、何を聞かれているんだろう」と意味がわからなかった。アフリカには雨季と乾季があるんですね。ようやく納得して、「日本は雨も晴れも曇りも、いろんなお天気がまざって、順番は決まらないんだよ」と答えました。子どもたちは「ヘー」って不思議そうでした。これもひとつの発見でした。
外国に行く時は折り紙とか紙風船とかをもっていくんです。子どもたちへのお土産です。一緒に遊ぶと、すぐに友達になれますからね。
いつもアンテナを磨き、新しい石川さゆりを発信
もう1年するとデビュー40年です(※掲載時)。さまざまな女性の歌を送り出してきました。そのどれもが私なのかなって思っています。人ってひと色ではない。いろいろな表情がある。そして、喜怒哀楽もある。自分の中にない女性は表現することができませんから。
私自身、これだけ長く続けられるなんて思ってもみませんでした。でもひとつのことを続けるって、こんなにすばらしいことなんですね。
いろいろな方との出会いもありました。大変なことがなかったとは言いません。ひとつのことをずっと続けてきたから、まだまだおもしろいものが作れると思っています。
だからこそ、自分のアンテナをピカピカに磨いておかなくちゃ。そこでキャッチできるもの、発信できるものをもっておきたいのです。
聞き手/旅行読売編集部
プロフィール
石川さゆり(いしかわ さゆり)
熊本県生まれ。演歌歌手、俳優。1977年、「津軽海峡・冬景色」が大ヒット。「波止場しぐれ」「天城越え」「風の盆恋歌」などヒット曲多数。
(出典:「旅行読売」2011年2月号)
(WEB掲載:2022年6月11日)