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旅へ。(第25回 鎌倉と小津安二郎)

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> 鎌倉市
旅へ。(第25回 鎌倉と小津安二郎)

雨の浄智寺。小津はすぐ近くの住まいに母と2人で暮らしていた

 

北鎌倉を愛した小津安二郎 日々の素描で時代を表現

乾いた大地に雨が染み入るようだ。米アカデミー国際長編映画賞に輝いた濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」。寡黙で無表情な女性ドライバーとの出会いから、チェーホフの戯曲を演出する男性が妻の死を乗り越え、苦悩と悲しみを背負って生きようとする。感情を抑えた演技、無駄を削ぎ落とした映像にひたりながら思い浮かべたのは、日本映画の巨匠・小津安二郎(おづ・やすじろう/1903年〜63年)だった。

「晩春」「東京物語」「秋刀魚(さんま)の味」……。3月に亡くなった評論家の佐藤忠男は、小津映画を「家族の日常生活の記念アルバムに近い」と評した。ストーリーは平板、ドラマもないが、日々のスケッチをつないで、時代の悲哀を表現する。

大部屋俳優だった笠智衆(りゅう・ちしゅう)を抜擢したのは、生真面目で不器用だから。「演技をするな。能面でいい」と命じ、瞬き、目線、喉ぼとけの動かし方まで指示したという。「麦秋」(1951年)は原節子主演、北鎌倉に住む3世代家族を描き、キネマ旬報ベストワンに選ばれた。「役者を泣かさず、悲しみの風格を出す」と語り、「余白」にこだわる小津が、日本映画の源流の一つになったことは確かだろう。

麦の穂が黄金色に染まる麦秋の頃、厚い雲に覆われた北鎌倉を訪ねると、谷戸(やと)の山里は静けさに包まれていた。鎌倉五山第一位の格式を誇る建長寺(けんちょうじ)、紫陽花(アジサイ)で名高い明月院(めいげついん)ほどには知られていないが、鄙(ひな)びた趣の浄智寺(じょうちじ)も幕府執権北条氏ゆかりの古刹(こさつ)、五山の一つである。苔(こけ)の石段、茅葺(かやぶ)き書院、岩壁に穿(うが)たれた祠(ほこら)の石仏、総門の扁額(へんがく)には「寶所在近(ほうしょざいきん)」とある。寶所は悟り。真実はすぐ近くにあると言っているのだろう。隠れ里のような北鎌倉の山中に、小津は終の棲み家をさだめた。

「宗方姉妹(むなかたしまい)」(1950年)に、高峰秀子演じる妹から「古い」となじられ、田中絹代の姉が「本当に新しいことは、いつまでたっても古くならないことよ」と言い返すシーンがある。姉もまた、夫の非業(ひごう)の死を乗り越え、一人生きる。

小津は日常のはかなさを知り、変わらぬ北鎌倉の光景に癒やされたのだろう。川端康成、大佛(おさらぎ)次郞、里見弴(とん)、古都の静寂は文士や芸術家をひきつけてきた。夏目漱石の『門』の舞台となった円覚寺(えんがくじ)。小津の墓は雨に濡れ、「無」のひと文字が刻まれていた。

 

(出典:「旅行読売」2022年7月号)

(WEB掲載:2022年6月17日)


Writer

三沢明彦 さん

元「旅行読売」編集長

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