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【ご当地あんこの世界】コラム あんこはどこから来たのか

【ご当地あんこの世界】コラム あんこはどこから来たのか

福井の水ようかん

 

にしいあんこ(「日本あんこ協会」会長)

全国9800人を超えるあんこ愛好家の協会員(あんバサダー)で構成される、あんこの普及振興を目的とした協会団体「日本あんこ協会」の会長を務める。物心つく頃から、あんこが大好きで、これまでに食したあんこの数は1万種を超える。協会理念に「あんこを通じた世界平和の実現」を掲げる。2023年6月から、農林水産省「ありが糖運動」アンバサダーを務める。

日本あんこ協会HPはこちら

 

「はじまりは塩味だった」

あんこは飛鳥時代に中国大陸から伝わった点心(※)文化の「餡(あん)」が原形と言われている。餡とは「中に詰めるもの」という意味で、元は肉や野菜を塩味で煮たものだった。小豆(あずき)を使った餡が登場するのは、諸説あるが鎌倉時代とされている。

当時、肉食を禁じられていた禅僧が、肉の代わりとして、同じように赤く、古来、縁起のよいものとして食べられていた小豆を使ったことがきっかけだ。羊肉の汁物に見立てた精進料理(現代の羊羹<ようかん>の原形)などで使われたが、この時点でもまだ塩味で、我々が知るあの甘~いあんこではなかった。

ごく一部の貴族など上流階級の世界では、砂糖が薬用として使われたり、ツタの樹液を煮詰めてシロップにした甘葛煎(あまづらせん)が甘味料として存在していたが、到底、庶民の口に入るものではなかった。

あんこが甘くなったのは、安土桃山時代から江戸時代にかけてだ。豊臣秀吉をはじめ、加賀の前田利常、松江の松平治郷(はるさと)など、時の権力者たちが、茶の湯に傾倒した時代、茶文化の隆盛とともに、菓子作りも盛んになり、実にさまざまな和菓子が誕生した。日本各地で現代に通じるあんこスイーツが数多く出現し始めたのもこの頃からだ。

※点心とは中華料理の軽食や菓子のこと

「各地のローカルあんこたち」

各地に古くから根付くローカルあんこはたくさんあるが、特に秋から冬はあんこが活躍するシーズンだ。

埼玉県北東部では、秋の収穫期を迎えた頃、「塩あんびん」という大福が農家でお祝いの行事食として食べられてきた。古くは塩味だった餡を今も味わえる珍しいローカルあんこだ。

お彼岸におはぎを食べるのは、小豆の赤色に厄除(よ)けの効果があると信じられてきたためで、ほかにも小豆粥(がゆ)や小豆とカボチャのいとこ煮など、無病息災を願って食べられる小豆料理は多い。

島根県出雲地方では、旧暦10月(神在月<かみありづき>)にぜんざいの起源とされる「神在(じんざい)餅」が振る舞われる神事がある。11月には福井県で「丁稚(でっち)羊羹」の販売が始まる。水ようかんの起源とされ、同地では冬の風物詩だ。香川県では正月のお雑煮にあんこ入りのお餅を入れることで有名だ。

出雲の神在餅

収穫期や法事、お祝いなどに登場するあんこは、ご先祖様への感謝、八百万(やおよろず)の神々や自然への畏敬、他者への思いやりやおもてなしなどを表現し、人々の暮らしに 〝けじめ〟をつける食べ物だったのではないか。だからこそ日本人の日常にここまで浸透し、我々のソウルフードになったと考える。全国津々浦々、ローカルあんこの世界には興味深く、舌を巻く逸品がそろう。あんこファンなら一度は現地で食べたいものばかりだ。

文/にしいあんこ(日本あんこ協会会長)

 

(出典 「旅行読売」2023年11月号)
(WEB掲載 2023年11月7日)


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