平和への希望あふれる「第九」アジア初演の地【泣けるひとり旅】
鳴門市の姉妹都市、ドイツ・リューネブルク市庁舎をイメージした鳴門市ドイツ館。1994年にできた2代目だ
「第九」アジア初演の地へ
誰しも「泣ける音楽」があると思うが、私の場合、ベートーベンの交響曲第9番(第九)だ。第3楽章でウルウル、第4楽章の「歓喜の歌」で我慢できなくなる。初演は200年前のウィーンだが、アジア初演は徳島県、それもドイツ兵の捕虜たちによるものだった。その始まりの地に立ってみたくて鳴門市を訪れた。
高徳(こうとく)線板東(ばんどう)駅から北西へ狭い街道筋を抜けるとお遍路さんの姿がちらほら。四国八十八ヶ所霊場1番札所の霊山(りょうぜん)寺だ。風格ある仁王門を眺めつつさらに15分ほど歩くと、のどかな田園地帯にヨーロッパの城のような「鳴門市ドイツ館」が見えてきた。
同市大麻(おおあさ)町には1917年4月から20年1月まで、第1次世界大戦で捕虜となったドイツ兵を収容した「板東俘虜(ふりょ)収容所」があった。同館では捕虜たちの収容所での暮らしや経済・文化活動、地元住民との交流などについて紹介している。
2階の史料展示室にある収容所のジオラマを見て驚いた。兵舎を中心に病院、図書室、喫茶店、印刷・製本所、理髪店、ボーリング場、製パン所、ケーキ屋、そして商店街まであり、一つの街が形成されていた。捕虜が発行する新聞や通信もあった。
「所長の松江豊壽(とよひさ)は捕虜を人道的に扱ったことで知られています。食事や衛生面などの環境を良くするだけでなく、職人が多かった捕虜たちの技能を生かせるよう雇用もしていました」とは館長の森清治(きよはる)さん。
松江はスポーツや文化活動にも寛容で、捕虜たちによるオーケストラは二つもあった。「収容所生活が長引く中、心の団結を願って挑戦したのでは」と森さんが語る「第九」の初演は、1918年6月1日のことだ。演奏を聞いた捕虜が母親に宛てた手紙が残っている。「演奏は大成功でした。(中略)なんとも言えない安らぎ、なぐさめが流れ出て来るのです。私は元気です」。「第九」のメロディーと歌声は、捕虜たちにどれほど多くの希望を与えたことだろう。
終戦後も1年以上解放されなかった捕虜たちは、希望を失うことなく、田植えを手伝ったり、石橋を建造するなど地元住民と交流し、喜ばれた。その橋は両国友好のかけ橋として大麻比古(おおあさひこ)神社に今も残る。
「Alle Menschen werden Brüder(アーレ メンシェン ヴェルデン ブリューデル<すべての人は兄弟になる>)」の歌詞が敵国の収容所に響き渡るさまを想像したら泣けてきた。各地で戦火の絶えぬ今、敵味方、国と国を超えた支え合いの大切さを改めて考えさせられた。私はこれからも「第九」を聞けば、板東の思い出とともに涙するのだろう。
文/中 文子
道の駅 第九の里
鳴門市ドイツ館そばにある。建物は国の登録有形文化財である板東俘虜収容所の兵舎(バラッケ)の一部を移築したもの。物産館のほか、徳島名物「鳴(なる)ちゅるうどん」や第九ホットドッグが味わえるカフェも併設。
■9時~17時(カフェは10時~15時30分)/第4月曜、年末休/鳴門市ドイツ館からすぐ/TEL:088-689-1119/公式ホームページ
営業:9時30分~16時30分/第4月曜、年末休/400円
住所:鳴門市大麻町桧東山田55-2
交通:高徳線板東駅から徒歩25分、または鳴門駅からバス43分、ドイツ館下車すぐ/高松道板野ICから4キロ
問い合わせ:TEL088-689-0099
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年5月号)
(WEB掲載:2024年5月21日)