幾寅駅 「鉄道員」の舞台にもう列車は来ない【泣けるひとり旅】
北海道らしい2段勾配のギャンブレル屋根が特徴の幾寅駅舎。「幌舞」という駅名板が掲げられている。もともと木造だったが、映画の演出のため、よりレトロな雰囲気に改装された
昭和時代から時が止まったかのような木造駅舎
北海道の鉄路がまた一つ役目を終えた。2024年3月31日の運行最後に、根室線の富良野(ふらの)― 新得(しんとく)駅間(81.7キロ)が廃止となった。このうち、東鹿越(ひがししかごえ)―新得駅間(41.5キロ)は16年の台風で被災後不通となっており、代行バスで運行されていた。もともと利用者の少ない区間ではあったが、この被災区間の存在も廃止の一因だろう。廃止の約1か月前に、高倉健主演の映画「鉄道員」の舞台として有名な幾寅駅を訪ねた。
代行バスから降りたのは10人ほど。多くが同世代と思(おぼ)しき男性だった。私と同じく少年時代にローカル線巡りを楽しんだ人たちかもしれない。映画では「幌舞(ほろまい)駅」という終着駅の設定で、入り口にその駅名板が掲げられている。古色蒼然(そうぜん)とした木造駅舎は、昭和時代から時が止まったかのよう。周辺には駅前食堂などセットの一部が残され、駅舎内には映画関連の展示コーナーがある。
高倉健が演じる幌舞駅長は、鉄道員ひとすじに生き、間もなく定年を迎える。幌舞駅も近いうちに廃止されるという設定だ。ストーリーの詳細は割愛するが、特に雪の幌舞駅のラストシーンは涙なしでは見られない、映画史に残る名作である。
幾寅駅もまた、奇(く)しくも幌舞駅と同じ運命をたどることになってしまった。ホームは築堤上にあり、十数段の階段で駅舎と結ばれている。高台のホームはまるで「舞台」のようで、駅舎との間は絶妙な空間でもあり、映画の重要な場面に何度も登場した。
その階段を上り、単線1本だけのホームに立ってみた。線路は深い雪に埋もれていた。かつてここは道央と道東を結ぶメインルートであり、急行「狩勝(かりかち)」の停車駅でもあった。そんな往時のにぎわいが嘘(うそ)のように、辺りは静まり返っている。
新得方面を望むと、腕木(うでぎ)式信号機があり、狩勝峠へ続くなだらかな山が、進路を遮るようにそびえていた。この眺めは、映画の中で健さんが列車を見送った背景と同じだが、ここに列車が来ることはもう二度とない。そんな思いも相まって寂寞(せきばく)とした情景に映るが、旅の風景で感傷的な気分に浸るのも悪くはない。そして、そんな時はひとりがいい。
消えゆく北の鉄路を求めひとり旅
私が初めて北海道を訪れたのは、国鉄全線完乗を目指していた高校時代。赤字ローカル線が相次いで廃止された国鉄末期の頃で、廃止の噂(うわさ)を聞くたびに、ひとり、時間に追われるように旅に出た。
以前は北海道の輪郭を路線網でほぼそのまま表せるほど鉄路が張り巡らされていたが、その後、数多くの魅力的な路線が消えてしまった。標津(しべつ)線、湧網(ゆうもう)線、天北(てんぽく)線などは廃止直前に乗ることができたが、白糠(しらぬか)線、胆振(いぶり)線は間に合わなかった。
後年、いくつかの廃線跡を訪ねたが、多くは更地や公園、住宅地になっており、痕跡はほとんど残っていない。しかし中には、駅舎やホームが当時のまま保存されている駅跡もあり、現役時代の情景や、訪ねた頃の心情を思い出し、胸が熱くなる。幾寅駅の展示コーナーも当面は存続される予定だ。
消えゆく北の鉄路を巡り、様々に思いをはせるのも、日常では味わえないひとり旅の醍醐(だいご)味である。
文・写真/谷崎竜
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2024年5月号)
(WEB掲載:2024年5月22日)