【ひなびた温泉】湯口をうっとり見つめてなにが悪い?ふぢや旅館<長野・鹿教湯温泉>

この浴室の開放感はタダモノじゃあない。そして目の前の渓谷の緑がまさに目に飛び込んでくる!ひなびた温泉でこんなぜいたくな浴室空間はなかなかないですよ
プロフィール
岩本薫(いわもとかおる)
1963年東京生まれ。温泉研究家、作家、エッセイスト。温泉研究家といってもひなびた温泉にしか興味がない偏愛志向。主な著書に『もう、ひなびた温泉しか愛せない』『つげ義春が夢見た、ひなびた温泉の甘美な世界』『ヘンな名湯』『もっとヘンな名湯』(以上、みらいパブリッシング)『ひなびた温泉パラダイス』(山と溪谷社)等。メディアにも多数出演。ひなびた温泉マニアのグループ「ひなびた温泉研究所」のショチョーでもある。
湯口の代表選手っていえば、やっぱりライオンだろう
かけ流しの温泉を湯船にジャバジャバと注ぐ注ぎ口があるじゃないですか。アレは湯口っていうんですけど、温泉マニアの温泉の楽しみかたのひとつに、その湯口を鑑賞するっていうのがあるんですね。
え?そんなもん鑑賞してなにがどうおもしろいのよ?ってあなたは思うかもしれない。でもねぇ、世の中には味わい深い造形の湯口もいっぱいあって、そーいう湯口から素晴らしい泉質の源泉がジャバジャバと耳触りのいい音をたてながら注がれているさまは、見ていてうっとりとするものなんだなぁ。とある温泉マニアさんなんかは、自ら〝ユグチスト〞と名乗って、全国の温泉のユニークな湯口を追っかけて、Instagram(インスタグラム)で湯口の写真を発信していたりする、そんなツワモノだっているのだから(実はワタクシが主宰しているひなびた温泉研究所の研究員だったりもするのですが・笑)。
湯口の代表選手っていえば、やっぱりライオンの湯口だろう。たぶんみなさんも見たことがあると思う。でも、世界一の温泉大国ニッポンの湯口は、もっともっとオクもフトコロも深いのだ。
たとえば、ナマハゲの口からブシューッと激しく湯が噴き出す湯口とか(男鹿<おが>温泉郷/元湯雄山閣)、あるいは河童(かっぱ)の頭の皿からザブザブと湯があふれる湯口とか(水上<みなかみ>温泉/天野屋)、鯉の口からマーライオンのように豪快に湯が噴き出る湯口とか(はやぶさ温泉)、かわいらしいペンギンさんからトボトボ湯が注がれる湯口とか(小野川温泉/二階堂旅館)。
はたまた謎のギリシャ人のおっさんの口から湯があふれる悪夢のような湯口とか(坂井温泉/ 湯本館)、まるでバズーカ砲のような湯口からブシャーと湯が噴き出る湯口とか(庄川湯谷<しょうがわゆだに>温泉)、タヌキのアソコからジョボジョボ湯が出る湯口とか(飯山温泉 /元湯旅館)。
まぁー、そんなふうに変わった湯口は〝あなたの知らない世界〞的に世の中に点在しているのだ。でも、そういう湯口ってだいたいが古い温泉旅館や共同浴場のものだったりする。現在の温泉施設にはそういう湯口はない。真面目すぎてツマンナイんだなぁ。なんでだろうねぇ?
アナタは牛なの? 鹿なの?
さて、ワタクシのお気に入りの湯口はというと、鹿教湯(かけゆ)温泉の「ふぢや旅館」の男湯の湯口である。もしも全国のユグチストたちが人気投票したとしても、きっとベストテンにランクインするんじゃないだろうかと確信している。
いい湯口というのは決して湯口だけで評価されるものではない。たしかドイツの詩人だったか劇作家だったかが言った言葉に「踊り子と踊りを切り離して語ってはいけない」みたいなのがあったけど、まさにそれと同じことで、いい湯口とは、いい湯といい浴室空間があってこそ、「いい湯口」なのである。それを切り離して語ってはいけないんだなぁ。
で、「ふぢや旅館」の男湯の湯口はまさにそれを体現している。浴室はレトロで、それでいて全面ガラス張りのような窓なので、まるで露天風呂のような開放感があって、目に飛び込んでくる景色がオールシーズン楽しませてくれる。そして湯もいい。無色透明のクセのないやさしい湯なんだけど、ドバドバの大量かけ流しのため鮮度が抜群に良いのだ。ここは鹿教湯温泉でナンバーワンの湯使いだと思う。
で、肝心の湯口はというと、ちょっと怖い顔をしたリアルな牛の頭で、口のまわりに白い髭を生やしたかのように温泉のカルシウム成分がびっしりと付いている。ちょっと夢に出てきそうなインパクトのある湯口なんだけど、そんな湯口がドバドバと大量の湯を湯船に注いでくれている。コレは実に感動的な眺めだったりするのだ。
コレが名物湯口だ。 アナタは牛ですか? 鹿ですか? いいえ、元鹿の牛っぽいナゾ動物でございます
でも、待てよ。ココ、鹿教湯温泉はその名が示すように、鹿(実はその鹿は菩薩<ぼさつ>の化身だった)が教えてくれたという伝説を持つ温泉なのだ。それならば牛じゃなくって鹿だろ?そんな疑問が生まれてくる……。
実はその疑問は正しい! そう、ふぢや旅館の湯口は、元は鹿だったのだから。立派なツノを生やした雄鹿だったのだ。だがそのツノが破損して取れてしまい、何度直しても取れてしまうので、もぉ〜ツノなんかナシでもええやん!ってことになって、まるで牛のようなミョーな湯口になったそうなのである。
ふぢや旅館の湯口は、そんなおおらかな逸話まで持っているのだ。コレを読んでいるアナタもふぢや旅館の味わい深い湯口でユグチストの一歩を踏み出してみてはどうだろうか。まわりに理解されないディープな趣味を持つっていうのも、なかなかオツでいいぞぉー。
文・写真/岩本 薫
入り口は新しいけど、中へ入るとだんだんとひなびてくるよ。近くには町営の共同浴場もあるから、ぜひセットで
♨今月のひなびた温泉
ふぢや旅館 <長野・鹿教湯温泉>
◎料金:1泊2食1万1000円〜、素泊まり5500円〜、日帰り入浴800円/無休
◎泉質:単純温泉
◎アクセス:北陸新幹線上田駅からバス1時間9分、または中央線松本駅からバス50分、鹿教湯温泉下車すぐ/上信越道東部湯の丸ICから25キロ、または長野道梓川スマートICから22キロ
◎住所:長野県上田市鹿教湯温泉1373-3
◎TEL:0268-44-2204
※記載内容はすべて掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2025年8月号)
(Web掲載:2025年8月14日)