【世界の絶景遺産】イチャン・カラ イスラム隊商都市の繁栄の面影を伝える(ウズベキスタン)
クフナ・アルクから眺めるイチャン・カラの街並み
「内城」を意味する、中央アジアのオアシスの町
古来、中央アジアには、多くの隊商都市が栄えてきた。残念なことに、そのほとんどは戦乱や近代化によって破壊されてしまったが、いくつかの都市では今でも歴史的な建造物が残っている。
そのなかで、もっとも保存状態の良いものをあげるとすれば、ウズベキスタン西部の都市、ヒヴァのイチャン・カラであろう。
ヒヴァはカラクム砂漠の北方、アムダリア川近くの隊商都市である。1世紀頃には街ができていたとされ、8世紀にイスラム化し、17世紀にヒヴァ・ハン国の首都となり栄えた。
王朝時代、ヒヴァは二重の城壁で囲まれた都市であった。イチャン・カラは、その内城の旧市街地を指す。
西側にあるオタ・ダルヴァサ門から入ると、城内には中世そのままかと思うばかりの街並みが広がっている。石畳の道に沿って、日干しレンガで造られた四角い建物が立ち並ぶ。近代的なビルは一つもない。
目を奪われるのが、青いタイルのミナレットである。カルタ・ミノルと呼ばれ、基礎部の直径が14メートルもある巨大な尖塔だ。おもしろいことに、てっぺんまで完成してはおらず、半ばで途切れているのだが、それが絶妙なバランスを呈している。壁面に貼られた青タイルがとても美しい。
カルタ・ミノルの前には、かつての宮殿、クフナ・アルクがある。屋上に上ると、イチャン・カラ全体を見渡せる。少し離れた位置には新しい宮殿、タシュ・ハウリもある。クフナ・アルクは城塞だが、タシュ・ハウリは王宮的で、建物の装飾の手が込んでいる。
イチャン・カラには約20のモスクがあるが、なかでも有名なのがジュマ・モスク(金曜モスク)だ。中をのぞいてみると、木製の円柱が212本、林のように立ち並んでおり、全てに精巧な彫刻がほどこされている。
さらにまっすぐ行くと、パルヴァーン門という東側の門に突き当たる。細長いアーケードのような構造で、かつては、ここで奴隷が売られていたそうだ。
イチャン・カラには、宮殿やモスク、神学校、霊廟などの50以上もの歴史的建造物と、250以上もの古い住居が残されている。その多くが、17世紀~19世紀に作られたものだ。イスラム隊商都市の、往時の面影を伝える貴重な街並みである。
「博物館都市」として生き残った街並み
ヒヴァは1873年にロシアによって征服され保護国になり、1920年のソビエト連邦の成立とともに社会主義化された。そのたびに戦乱に見舞われたが、イチャン・カラの街並みはかろうじて保たれた。ソ連が安定すると博物館都市に指定され、近代化も免れた。
イチャン・カラは、南北650メートル、東西450メートルくらいの規模なので、30分もあれば城壁沿いに一回りできる。修復されている建物も多いので、かならずしも昔の様子がそのまま残されているわけではないが、これだけの雰囲気を持つ街並みは類をみない。
ラクダの背中に荷物を載せたキャラバン隊が、ざわめきながら行き来していた。そんな面影が感じられる街である。
文・写真/鎌倉 淳
【旅行データ】
ウズベキスタンの首都・タシケントへは、成田空港からウズベキスタン航空が直行便を週2便運航している。所要時間は8~9時間。ヒヴァは、タシケントから約1000km離れたトルクメニスタン国境近くにあるが、空港はない。そのため、40km離れたウルゲンチ空港を利用する。タシケントからウルゲンチまで飛行機で1時間半程度。ウルゲンチ空港からヒヴァまではタクシーで約40分。鉄道もあり、タシケントから約14時間。夜行列車の旅となる。