【世界の絶景遺産】1000年以上眠り続けた砂岩の隊商都市 ペトラ (ヨルダン)
遺跡の最奥にあるエド・ディル(修道院)
新・世界七不思議にも数えられる謎の都市
ペトラは、紀元前2世紀頃に栄えたナバテア王国の都である。ヨルダン南部の山岳地帯に立地する、香辛料などの交易で繁栄したナバテア人の隊商都市だ。ペトラはギリシャ語で崖を意味する。106年にローマに併合されると繁栄を失い、4世紀には大地震の被害を受け、やがて放棄されてしまう。
近世に至ると存在すら忘れられ、スイス人の探検家によって紹介される1812年まで、山岳地帯にひっそりと眠り続けていた。こうした歴史的経緯から、ペトラには、古代オリエントの小国の文化とローマの建築物が混じり合った、独特の都市の遺構が見事に残されている。
遺跡のゲートから、白く乾いた砂利道を500メートルほど歩く。小高い岩場に突き当たり、岩の間がわずかに裂けている。これがペトラへの通り道。シークといい、入り込むと、左右の崖が高くなり、仰ぎ見てもてっぺんがわからない。幅2メートルほどの道が1キロ半も続く。いつまで続くのだろうと不安に思う頃、崖の間から神殿が突然視界に飛び込んでくる。この瞬間が、実に感動的だ。
神殿はエル・カズネ(宝物殿)といい、断崖を人工的に掘った洞窟で、外観にギリシャ・ローマ風のデザインを加えて仕上げられている。映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」の撮影地としても知られている。
遺跡を奥に進むと、岩の谷間が広がって盆地状になっている。ここがかつての中心部。石畳の道や、列柱、凱旋門といったローマ時代の建築物が立ち並ぶ。ペトラの最盛期には3万人が住んでいたといわれていて、遺構が残された範囲も広い。ローマ名物の競技場も、小規模だが形をとどめている。
ギリシャ・ローマと東方の文化が入り混じる景観
市街地は岩山に囲まれており、山の壁面には岩窟神殿がたくさん掘られている。ほとんどがナバテア時代のものだ。それらをローマ風の市街地から眺める光景はペトラ独特で、ローマとオリエントの文化が共存した、不思議な雰囲気をかもしだしている。
さらに歩いていくと市街地が終わり、岩の谷間に上り坂の細い道が続いている。深い谷を40分ほど登ると、高台の上に出る。ここがペトラ遺跡の果ての果てだ。
高台の尾根の隅っこに、ギリシャ風のファサードを持つ神殿が岩に彫り込まれるように作られている。エド・ディル(修道院)という。近くには、キリスト教の修道士たちが住んでいた岩窟住居が数多く見つかっている。
さらに進むと、崖の上に出る。草木一本ない黄土色の山並みがうねっている。奥にはアラバの谷の乾いた大地が広がっていて、その向こうに見えている山脈はイスラエル領に違いない。ずいぶん遠くまで旅をしてきた、と実感できる場所である。
文・写真/鎌倉 淳
【旅行データ】
ヨルダンの首都アンマンへは、日本からドバイやドーハなどで乗り継ぐのが一般的。2024年3月31日にJALが羽田~ドーハ線を開設するので、より利用しやすくなる。
アンマンからペトラまでは約270キロ、バスで3時間半。ペトラの観光拠点はワディムーサという都市で、ホテルもある。ワディムーサから遺跡ゲートまではタクシーで10分程度。アンマンからは日帰りツアーバスもあり、アンマンを6時頃に出発して、ペトラを17時頃出るというスケジュールが多い。現地には約6時間滞在できる。
(Web掲載:2023年12月26日)