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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第10回 伊達政宗と仙台

場所
> 仙台市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第10回 伊達政宗と仙台

伊達政宗公騎馬像が立つ仙台城(青葉城)跡から市街地を見渡す

 

  

プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

 

伊達政宗の人生は危機の連続だった

伊達政宗の人生は危機の連続だった。幼い頃に疱瘡(ほうそう)で生死の境をさまよい、人取橋(ひととりばし)の戦いで滅亡寸前まで追い込まれ、秀吉の惣無事令(そうぶじれい<私戦停止令>)に違背(いはい)して蘆名(あしな)氏を滅ぼしたことで首を飛ばされそうになり、一揆を扇動した疑いで改易(かいえき)寸前までいった。しかし政宗はその機転と運の強さで幾多の危機を乗り切り、子孫に仙台藩62万石を残した。

政宗の書状からその性格を読み取ると、大胆不敵、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)、自由闊達(かったつ)、気宇壮大(きうそうだい)といった言葉が浮かぶ。単なる人望と人徳ある名将ではなく、よきにつけ悪しきにつけ人間臭いところが、政宗の魅力なのだろう。

そんな政宗が、本拠の岩出山から仙台に移りたいと家康に打診したのが、1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いが終わって1か月後だった。

実は関ヶ原の戦い後も、東北地方では緊張は続いていた。それゆえ峻険(しゅんけん)な青葉山と広瀬川に守られた天然の要害(ようがい)仙台こそ本拠にふさわしいと、政宗は思ったのだろう。また仙台には良港もあり、米や産物の積出港としても便利だった。かねてより政宗は、交易を盛んにして国を富ませようと思っていたのだろう。

軍略家としても、領国経営者としても、文化人としても傑出していた政宗だが、やはり特筆すべきは海外へ目を向けたことだろう。1613(慶長18)年、政宗は幕府の承認を得て、イスパニア国王とローマ法王の元に家臣の支倉常長(はせくらつねなが)を派遣する。慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)である。平和な時代の到来を見越し、欧州との通商によって日本全体を富ませようとした政宗の先見の明には驚かされる。

その政宗が愛した仙台は「杜(もり)の都」と呼ばれる通り、素晴らしい自然環境に恵まれた文化都市だ。

市内を流れる広瀬川は歌謡曲「青葉城恋唄」にも登場
ケヤキ並木が色付く秋の定禅寺通(じょうぜんじどおり)。12月は毎冬恒例のイルミネーションイベント「SENDAI 光のページェント」を開催

仙台に行ったらまず仙台城に行き、仙台の町を一望の下に見下ろしてほしい。青葉城とも呼ばれるこの城は、築城から明治の廃藩置県までの270年間も伊達氏の本拠だった。

本丸には、傑作の呼び声高い伊達政宗の騎馬像がある。この像は太平洋戦争の折、銅が足りなくなった国に徴発されて鋳(い)つぶされたが、戦後に復元された。また城の周辺には、仙台市博物館、仙台城見聞館、青葉城資料展示館などがあり、天気が悪い日も楽しめる。

戦時中に空襲で焼け、戦後再建された仙台城の脇櫓

仙台城のほかにも、市内には瑞鳳殿(ずいほうでん<伊達政宗公霊屋(おたまや)>)、輪王寺(りんのうじ)、秋保(あきう)大滝、大崎八幡宮、西方寺(さいほうじ)といった名所旧跡が多数ある。だが仙台近郊でぜひ行っていただきたいのが、「日本三景」の一つ松島と瑞巌寺(ずいがんじ)だろう。

私は震災前と後に松島と瑞巌寺に行ったが、津波の影響によって雰囲気が一変したのは実に残念だった。歴史と伝統というのは、一朝一夕には築けないものだと痛感した。震災前の瑞巌寺の荘厳な雰囲気が失われたのは残念だが、地元の方々の尽力により、瑞巌寺は生まれ変わり、新たな伝統を築こうとしている。

モミジの紅葉が美しい瑞鳳殿。写真は2代藩主・忠宗の霊屋の感仙殿
瑞巌寺の僧侶の修行場だったとされる雄島(おしま)から見る松島の朝日

仙台の素晴らしさは筆舌に尽くし難い。月並みな言葉で言えば、自然と歴史が共存する町となるのだろうが、一度でも行けば、思わず住みたくなってしまう町こそ仙台なのだ。

文/伊東 潤

写真提供:宮城県観光プロモーション推進室

英雄メモ🖋

伊達政宗(だてまさむね)[1567 ~ 1636]

安土桃山~江戸時代初期の武将。仙台藩の藩祖。1567年、出羽国米沢城主の伊達輝宗の嫡男として誕生。1584年、家督を継ぎ、畠山氏や蘆名氏を破って奥州南部で一大勢力を築く。後に豊臣秀吉に臣従し、朝鮮出兵にも参加。関ヶ原の戦いと大坂の陣では徳川方に付き、その功で仙台城下を開き、仙台藩62万石の礎を築いた。和歌、茶、書、能楽をたしなんだ。幼少の頃に右目を失明し、「独眼竜」と称されたことで知られる。


[仙台城跡への交通]
仙台駅西口から循環バス「るーぷる仙台」26分の仙台城跡下車すぐ、または仙台駅から地下鉄東西線5分の国際センター駅下車徒歩20分

[観光の問い合わせ]
TEL:022-222-4069(仙台市観光情報センター)

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2023年11月号)
(Web掲載:2025年1月10日)


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