【伊東潤の 英雄たちを旅する】第8回 坂本龍馬と高知
高知城は国内で唯一、天守と本丸御殿(写真手前)の両方が現存する城
プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。
いつか龍馬の故郷を訪ねてみたい
15歳の時、初めて司馬遼太郎の歴史小説『竜馬がゆく』を読み、あまりの面白さに衝撃を受けた私は、「いつか龍馬の故郷を訪ねてみたい」という思いを抱いてきた。だがその機会はなかなか訪れず、馬齢を重ねて62歳になってしまった。しかし2023年5月、本誌のご厚意で遂に行くことができた。
坂本龍馬と言えば幕末回天の偉業に貢献した一人であり、また暗殺という悲劇的な最期を遂げたことでも有名だが、何よりもその魅力は、残された書簡や証言から伝わってくる人柄だろう。今回は生誕の地・高知を訪れることで、おおらかで思いやりある龍馬の人柄が少し理解できた気がする。
高知龍馬空港に着き、最初に行ったのは少年龍馬を育んだと言ってもよい桂浜だ。桂浜には龍馬の巨大な銅像がある。その台座がまた大きく、見上げるばかりの位置に龍馬が立っている。そこで記念撮影した後、龍馬になった気分で腕組みし、桂浜を歩いてみた。
2022年新築成ったという「桂浜海のテラス」と呼ばれる商業エリアにも行き、龍馬の卓上像から焼酎まで龍馬グッズを買った。またこの中のレストランで食べた「かつおの藁(わら)焼きタタキ定食」は最高だった。
次に行ったのが、桂浜のすぐ近くにある高知県立坂本龍馬記念館だ。ここの目玉は多数収蔵している龍馬の手紙だ。あらためてそれらを読んでいくと、龍馬の律儀でユーモアあふれる人柄が浮かび上がってくる。ここには近江(おうみ)屋事件で龍馬が殺された折、部屋に飾ってあった掛軸や屛風(びょうぶ<複製>)もあり、龍馬が凄惨(せいさん)な最期を遂げたことを思い出させてくれる。
午後は高知市の中心部に行って高知城に登った。この城は15棟もの現存建築物が残る貴重な城で、「日本100名城」にも名を連ねている。本丸には、天守・本丸御殿(ごてん)・納戸(なんど)蔵・廊下門・東多聞櫓(たもんやぐら)・西多聞櫓・黒鉄門(くろがねもん)など、いずれも国の重要文化財に指定されている当時の建造物が残り、お城ファンの私は大感激だった。ちなみに現存天守は全国で12あるが、本丸の建造物がすべて残るのは、高知城だけになる。
続いて向かったのは高知城歴史博物館だ。こちらは高知県の歴史を包括的に展示した博物館で、高知の歴史と文化がよく分かる。特に土佐藩主山内家の残した宝物の数々には、瞠目(どうもく)するものがあった。
龍馬が生まれ育った上町を歩く
翌日は、城下にある龍馬が生まれ育った町に向かった。この時、「とさでん」と呼ばれる路面電車に乗ったのだが、これが実にレトロ感があってよかった。実は、私は大の路面電車ファンで、子どもの頃、全面的に廃線となった横浜市電の行先板や改札鋏(ばさみ)を今でも所有している。
ホテルから「とさでん」に揺られ、上町(かみまち)一丁目で下車し、「高知市立龍馬の生まれたまち記念館」に着いた。こちらも龍馬一色の楽しい展示が盛りだくさんだ。特に「龍馬・乙女(おとめ)・長次郎(ちょうじろう)像」は彼らの間に座れるようになっており、龍馬と肩を組んだり、話し掛けたり、様々なポーズで記念撮影ができる。ちなみに乙女とは龍馬の母代わりとなった姉、長次郎とは龍馬の幼馴染(おさななじみ)の近藤長次郎のことで、実家は大里屋という饅頭(まんじゅう)屋を営んでいた。
そして遂に坂本龍馬誕生地碑に行った。今は碑以外、当時を偲(しの)ぶものは残っていないが、ここで龍馬が生まれ、この近くを走り回っていたかと思うと、感動が新たになる。また近所には、龍馬が水遊びをした鏡川、剣術修業した日根野(ひねの)道場跡、勉学に励んだ河田小龍(かわだしょうりゅう)屋敷跡、坂本家の本家にあたる才谷屋(さいたにや)跡、近藤長次郎の実家の大里屋跡などがある。
昼食は「ひろめ市場」で、カツオのタタキ定食を食す。これがまた美味なり。市場の近くには「吉田東洋先生殉難之地」や「武市瑞山(たけちずいさん)先生殉節之地」という碑もある。少し足を延ばして横堀公園に行き、「武市半平太邸跡碑」も見てきた。どれも『竜馬がゆく』に出てくる名所旧跡ばかりなので感無量だ。旅の素晴らしさを、あらためて実感した2日間だった。
文/伊東潤
写真協力/高知県観光コンベンション協会
英雄メモ🖋
坂本龍馬(さかもとりょうま)[1835~1867]
幕末の志士。同郷の武市瑞山(たけいちずいざん<半平太>)らの影響を受けて尊王攘夷運動に参加するが、後にこれを超えた国際的視野に立って日本の未来像を描いた。1862年に脱藩して幕府の軍艦奉行・勝海舟(かつかいしゅう)の知遇を得た。勝とのつながりから薩摩藩の援助を受けて長崎で武器の売買を行う商社・亀山社中を設立し、1866年には倒幕のために薩摩・長州の両藩を組ませようと奔走して薩長同盟を成立させた。1867年に脱藩の罪を許されて土佐に戻り、亀山社中を海援隊に改めた。龍馬が船中でまとめた国家構想「船中八策」が大政奉還や明治政府の五箇条の御誓文につながったという説もある。同年、京都の近江屋で中岡慎太郎と会談中、刺客により殺害された。享年33歳。
[桂浜への交通]
高知駅BT から桂浜線バス38分の桂浜下車すぐ
[高知城への交通]
高知駅前停留場からとさでん交通10分の高知城前停留場下車徒歩4 分(はりまや橋乗り換え)
[観光の問い合わせ]
TEL:088-823-4016(高知市観光協会)
(出典:「旅行読売」2023年9月号)
(Web掲載:2024年10月4日)