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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第6回 石田三成と関ケ原

場所
  • 国内
  • > 北陸・中部・信越
  • > 岐阜県
> 不破郡関ケ原町
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第6回 石田三成と関ケ原

石田三成が腹心の島左近とともに陣を構えた笹尾山。山上にベンチや展望台があり、古戦場を眺められる

 

 

プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

 

関ケ原で行われた天下分け目の決戦で、男を上げた石田三成

古戦場というのは独特の雰囲気がある。そこで戦いがあったと知っているからそうなのか、その場所に敗者の怨念が渦巻いているからそうなのかは分からない。

現在、関ケ原は観光地化されているものの、多くの人が死んだ場所という事実は変わらない。だが「霊魂は400年」と言われる通り、西暦2000年を境に関ケ原で幽霊を見たという話はぴたりとやんだという。さて、1600年に関ケ原で行われた天下分け目の決戦で、勝者の徳川家康以上に男を上げたのが石田三成だろう。

三成人気は司馬遼太郎の小説『関ヶ原』に負うところが大きいが、不利な情勢の中、亡き主君・豊臣秀吉の天下を守ろうとした心意気には打たれるものがある。

幼い頃から秀吉の側近くに仕え、その才覚を早くから発揮していた三成は、槍働きより吏僚(りりょう)として頭角を現し、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役では兵站(へいたん)業務をそつなくこなし、諸大名が朝鮮半島から引き揚げる際にも尽力した。こうした功績から、秀吉晩年の豊臣政権の支柱となっていった。

秀吉没後、専横を極める徳川家康に諸大名が戦々恐々とする中、三成は毅然とした態度で接し、遂に関ケ原で武力衝突に発展する。

この時、琵琶湖東岸の近江佐和山(おうみさわやま)19万4000石の領主だった三成は、近江国東部から美濃国西部の地理に精通していた。その三成が決戦の場に選んだのが関ケ原だった。しかし三成の作戦は様々な理由から齟齬(そご)を来(きた)し、家康の前に屈することになる。

その関ケ原には、多くの名所旧跡や観光施設がある。

最初に行くべき場所としては、「笹尾山・石田三成陣跡」をおすすめする。標高198メートルの笹尾山山頂には5分ほどで登れ、展望台もあるので、関ケ原を一望の下に見渡せる。山麓には馬防柵(ばぼうさく)が並び、三成の「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」の旗幟(きし)がいくつも翻(ひるがえ)っており、戦国気分を盛り上げてくれる。

笹尾山の陣跡に翻る「大一大万大吉」の旗

そこから南東に少し行った耕作地の中には、「関ケ原古戦場決戦地」という標柱があり、ここで激戦が行われたと分かる。近くには映像展示が充実している「岐阜関ケ原古戦場記念館」もある。ここは人気スポットなので、土・日曜は予約してから行くのがよいだろう。

のどかな田園風景の中に立つ「関ケ原古戦場決戦地」の標柱
岐阜関ケ原古戦場記念館1階 グラウンド・ビジョン
岐阜関ケ原古戦場記念館は映像や資料による展示、展望室、カフェなどからなる。レンタルサイクルもある

ほかにも関ケ原には、「関ケ原町歴史民俗学習館」や「関ケ原ウォーランド」といった施設が豊富で、大人も子どもも楽しめる。

また関ケ原には、参陣諸将の陣跡の標柱や説明板も豊富にあり、地理や距離感を摑(つか)みながら合戦の全貌を知ることができる。

説明板や標柱が立つ武将陣跡が点在。写真は大谷吉継陣跡

このほかにも関ケ原周辺には、家康の最初の陣所となった桃配山(ももくばりやま)、小早川秀秋の籠もった松尾山城(まつおやまじょう)、毛利勢が布陣していた南宮山(なんぐうさん)といった名所旧跡が多数ある。

三成にとって、関ケ原の戦いにおける敗戦は、生涯最大の痛恨事だったに違いない。その陣跡に立ち、崩れゆく味方の有様を見る辛さを思うと、戦国時代に生きることの厳しさが切々と伝わってくる。

文/伊東潤

写真協力/関ケ原観光協会、岐阜関ケ原古戦場記念館

 

英雄メモ🖋

石田三成(いしだみつなり)[1560 ~1600]

安土桃山時代の武将。豊臣政権の五奉行の一人。幼少時に羽柴(豊臣)秀吉に仕え、側近として厚い信任を受けた。九州平定や小田原征伐など各地の戦いに従って軍功を上げ、また太閤検地で中心的な役割を担うなど官吏として内政面で活躍。近江国の佐和山城主となった。秀吉の死後、徳川家康と対立を深め、毛利輝元ら諸大名とともに西軍を組織したが、1600年の関ケ原の戦いで家康率いる東軍に敗れ、京都で処刑された。


[岐阜関ケ原古戦場記念館までの交通]
東海道線関ケ原駅から徒歩10分

[観光の問い合わせ]
TEL:0584-43-1600(関ケ原観光協会

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2023年7月号)
(Web掲載:2024年8月29日)


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