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【伊東潤の 英雄たちを旅する】第1回 徳川家康と岡崎

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> 岡崎市
【伊東潤の 英雄たちを旅する】第1回 徳川家康と岡崎

岡崎城の天守は1959年再建

 

プロフィール
伊東 潤(いとう じゅん)

1960年、神奈川県横浜市生まれ。歴史作家。2013年、『国を蹴った男』で吉川英治文学新人賞、『巨鯨の海』で山田風太郎賞を受賞。過去5回、直木賞候補となる。近著に、敗れ去った日本史の英雄たち25人の「敗因」に焦点を当て歴史の真相に迫るエッセー『敗者烈伝』(実業之日本社)などがある。

歴史に興味を持った人は幸せだ

岡崎城と竹千代・家康の石像

歴史を好きになるきっかけは様々だ。昭和の頃は小説を読んで歴史に興味を持つ人が多かったが、今はゲームや漫画から入る人が大半のようだ。どんなきっかけだろうと、歴史に興味を持った人は幸せだ。

なぜかと言えば、過去を知ることは未来を生きる上で役に立つからだ。歴史には多くの教訓が含まれており、それらを学び、自らの糧(かて)にしていくことで、人生はいっそう充実する。さらに名所旧跡に行き、歴史上の人物と同じ空気を吸うと、それらの教訓が実感を伴って迫ってくる。

私は、歴史を仕事にする前から歴史の旅が好きだった。英雄や偉人の足跡を訪ね、彼らと同じ場所に立ち、彼らがその場で、何を思っていたのかを想像するのが楽しいのだ。

今は映像や写真が容易に手に入るので、行かなくても史跡や名所旧跡を回った気分は味わえる。だが、やはりその場に身を置き、その場の空気を吸わないと、浮かんでこない感懐もある。

例えば茶室に座して茶をいただくことで、初めて「侘(わ)び」とは何かが分かってくる。岐阜城の天守から眼下に広がる濃尾(のうび)平野を眺めてこそ、信長の気宇(きう)壮大な野望が見えてくる。熊野灘(くまのなだ)の荒波を肉眼で見てこそ、かつて繰り広げられていた鯨(くじら)と鯨取りたちの死闘が思い描ける。

この連載では、私が行ったことのある全国各地の英雄たちゆかりの史跡、名所旧跡、博物館などをレポートし、読者の皆さんと一緒に過去に思いを馳(は)せていきたいと思う。

家康が生まれ青年時代を過ごした町

東岡崎駅前の徳川家康騎馬像。松平から徳川に改姓した25歳当時の姿(制作者:神戸峰男)

愛知県というと何を思い出すだろうか。「味噌カツ」「きしめん」「ひつまぶし」と答える人も多いだろうが、歴史的には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三大英雄を輩出した県として有名だ。

愛知県は西の尾張(おわり)国と東の三河(みかわ)国が合体してできた県だが、尾張国で信長と秀吉が、三河国で家康が生まれた。その三河国の地理的中心に位置するのが、家康の生誕地の岡崎になる。

岡崎に行ったら、まず岡崎城に行ってほしい。この城は家康の生誕城というだけでなく、徳川領国の防衛拠点の一つとして極めて堅固な構えを持っていた。最も特徴的なのは、天守を本丸の防御正面に配置し、見せる天守ではなく戦う天守という点を強く打ち出したことだ。さらに馬出(うまだし)という逆襲陣地を連続させ、攻防兼備の縄張りとなっている点も見逃せない。

岡崎城は、豊臣家時代の田中吉政と徳川譜代の本多康重ら本多氏3代の手になるもので、関ヶ原の戦い直後の創築。すなわち緊張感の高い時代に築かれたものだと分かる。城というのは、創築ないしは大規模な改変が施された時代背景や築城家の意図を想像すると、いっそう楽しめる。

松平・徳川両氏の菩提寺、大樹寺へ

第3代将軍・徳川家光が建立したと伝わる山門(大樹寺)
山門・総門越しに見る岡崎城

岡崎城の3キロ北には、松平・徳川両氏の菩提(ぼだい)寺となる大樹寺(だいじゅじ)がある。この寺には、今川方の一武将だった家康が、桶狭間(おけはざま)の戦いから逃げ帰り、自害しようとした時、住持(じゅうじ<寺の主僧>)から「泰平の世を築け」と諭されて思いとどまったという逸話が残る。

ここには国の重要文化財の多宝塔のほか、寛永年間に建てられたという三門、歴代将軍の位牌、家康73歳の時の木像など見どころも多い。

家康公73歳の時の木像
徳川家の歴代将軍の位牌

極彩色の楼門が美しい六所(ろくしょ)神社も必見だ。この神社も家康のルーツとなる松平氏との縁が深く、家康の産土(うぶすな)神と伝わっている。本殿、拝殿、幣殿、楼門などが重要文化財に指定されている。

「安産の神様」として信仰を集める六所神社

歴代の将軍家から尊崇されてきた伊賀八幡宮にも足を延ばしてほしい。こちらも本殿、随神門、神橋などが重要文化財に指定されている。

このほかにも、家康が父広忠の菩提を弔うために建立した松應寺(しょうおうじ)、同じく家康が祖父清康のために建立した隨念寺(ずいねんじ)、家康が幼少時に学んだという法蔵寺など、岡崎には家康ゆかりの寺社が多くある。

家康が大きな合戦の時には必ず参詣したといわれる伊賀八幡宮

岡崎という町で、家康がどのように過ごしたかを伝える史料はほとんどない。というのも6歳で今川氏に人質に取られてしまうからだ。それでも家康の岡崎に対する思い入れは強かったのだろう。後年になって、ゆかりの寺社に多額の献金をしているので、現代まで続いている寺社が多い。名所旧跡めぐりもよいが、都会と田舎がほどよくブレンドされた岡崎の町を歩き、少年家康と同じ空気を吸うだけでも、家康の英気が伝わってくる気がする。

2023年の大河ドラマは『どうする家康』なので、家康ゆかりの地を訪ねたいと思う方も多いだろう。それなら家康のルーツを知る上でも、岡崎を出発点としてほしい。

文/伊東潤

写真協力/岡崎市観光協会

岡崎名物といえば八丁味噌。江戸初期 創業のカクキュー八丁味噌の初代当主は元は今川家臣だったが、武士をやめ て味噌造りの道に。現当主は19 代目。工場見学や併設の食事処で味噌煮込みうどんなどのグルメが楽しめる

英雄メモ🖋

徳川 家康(とくがわ いえやす)[1542~1616]

江戸幕府初代将軍。三河の小大名の家に生まれ、幼年時代は隣国の大名今川氏の人質となって駿府で過ごす。桶狭間の戦いののち今川氏から独立し、織田信長と同盟して三河・遠江・駿河3か国に領地を拡大。本能寺の変の後は、豊臣秀吉と和睦。1590年、関東に移って250万石の大大名となり、秀吉の死後は関ヶ原の戦いに勝って天下の実権を握り、将軍となって江戸幕府を開いた。駿府に引退してからも大御所として実権を手放さず、大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし、江戸幕府の基礎を固めた。


[岡崎城への交通]
名鉄名古屋本線岡崎公園前駅から徒歩10分

[観光の問い合わせ]
TEL:0564-64-1637(岡崎市観光協会

※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2023年2月号)
(Web掲載:2024年4月6日)


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