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【歩く旅】昭和から令和へ 時代を歩いた日本の道(文・写真/丹野清志)

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【歩く旅】昭和から令和へ 時代を歩いた日本の道(文・写真/丹野清志)

写真家の丹野清志さんが初めてカメラを手に旅に出たのは1962年、18歳の夏。以来、全国の道を歩いて風景や人々の営みを記録してきた。その中から戦後日本の足跡ともいえる美しい道の数々を紹介する。

福島県山都町(現・喜多方市)1968年

雪の道を歩いて分校から帰る子どもたち。昔は本校が遠くて家から通学できない子のための分校が山間地などにたくさんあった。積雪が2メートル以上になるような雪国では、お父さんたちが通学路を造る。(冒頭の写真)


千葉県浦安町(現・浦安市)1969年

地下鉄東西線が開通して浦安へ行った。山本周五郎の小説『青べか物語』の舞台になった漁師町。アサリ漁の舟が浮かぶ川沿いの道を歩く。埋め立て地が広がり、東京のベッドタウン化が進んでいた。

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熊本県天草市 1973年

各地で工場排水による公害問題が噴出している頃、有明海、島原湾、八代海(やついしろかい)の沿岸を歩いた。海辺の集落や漁港で出会った人々は、のんびりと海の仕事を続けていた。「海は美しか」と老漁師が言った。

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東京都中央区佃 1974年

かつては佃島と呼ばれ、江戸時代後期に隅田川河口を埋め立てて造成された。路地を歩いて出会う人たちと気軽に言葉を交わしながらの散歩が楽しかった。古いまま残る町はいま、高層マンション群に囲まれている。

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長野県鬼無里村(現・長野市)1982年

1973年4月、飯縄山(いいづなやま)で発生した地すべりで棚田や畑が押し潰された鬼無里(きなさ)村。翌月、雑誌の取材で現地を訪ねた。その9年後、山村の地形や景観を写真に記録したくなり再訪。集落をつなぐ道で、当時、出会った人と再会した。

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三陸鉄道北リアス線(現・リアス線)の車窓から 1992年

東日本大震災から15年。三陸を旅して歩いた時の記憶がよみがえる。久慈(くじ)、宮古、釜石、気仙沼(けせんぬま)、石巻と三陸の町へはちょくちょく出かけていたが、三陸鉄道で沿線風景を眺めるのはこの時が初めてだった。岩手県野田村の国道45号。

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鹿児島県与論島 2008年

与論島は奄美群島最南端の島。サンゴ礁が隆起してできており、浜を歩くとサンゴのかけらがあってしゃりしゃりと音がする。白い道がずうっと続く平らな土地の周辺はサトウキビ畑で、風でさわさわと揺れていた。

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山梨県山梨市 2022年

久しぶりにモモの花が咲く景色を眺めた。リンゴの白い花と比べると、ピンク色が一面に広がる風景は圧巻だ。満開の花の中を歩いて樹の下でひと休みしていると、いわゆる桃源郷にいる気分になる。

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文・写真/丹野清志


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プロフィール
たんの・きよし

1944年、福島県生まれ。写真家、エッセイスト。60年代から日本各地へ足を向け、そこで暮らす人々や町の姿を撮り続けてきた。『ニッポンぶらりカメラ旅』(玄光社MOOK)、『路地の向うに』(ナツメ社)など写真集、著書多数。

※記載内容は掲載時のデータです。

(出典:旅行読売2026年4月号)
(Web掲載:2026年4月18日)


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