【極上の民宿】コラム 今、民宿を考える(旅行ライター/渡辺貴由)
透明な海が広がる能登島の八ヶ崎海水浴場。海水浴客が泊まる民宿も多い(写真/宮川 透)
後継者不足などにより昔ながらの民宿は減少傾向にあるが、家庭的なもてなしに触れ、その土地ならではの恵みを味わうことは楽しみの一つとして欠かせない。新しいスタイルの民宿も増えている。転換期にあるとも言える民宿の実情と変化を考察する。
苦境に立たされている多くの民宿
6月下旬、静岡県・西伊豆の3軒の民宿を巡った。いずれも期待を裏切らない〝定番民宿〟だった。都会ではお目にかかれない新鮮な海の幸でもてなされ、温泉もある。しかも露天風呂まで!主人も女将(おかみ)さんも初めて会ったとは思えないほどフレンドリーで、会話が弾んだ。家族経営ならではの程よい距離感。そして何より料金が安い!
良いことを書き連ねればきりがないが、こうした昔ながらの民宿の多くは今、苦境に立たされている。その要因は経営者の高齢化、後継者不足、施設の老朽化などだ。今回訪ねた3軒の民宿で、そんな訴えを多く聞いた。
松崎町・雲見温泉の髙見家の女将・渡辺ひとみさんも、「雲見温泉だけでも40年くらい前は100軒ほどの民宿があったと記憶していますが、今は30軒に満たないですね。後継者がいなければ、廃業するしかありませんから」と話す。幸いなことに髙見家では、一時期実家を離れていた長男が帰ってきて板長として腕を振るっている。「まだしばらくは民宿を続けていけそうです」と、両親はうれしそうに語っていた。
同じく雲見温泉・番上屋(ばんじょうや)の女将・高橋和子さんは、「最近はお客さんが旅館と勘違いして、サービスを求めすぎると思うこともありますね。民宿はあくまでも『民家の宿』なのです」とも言う。
民宿のルーツは長野県にあり
そもそも民宿の起源は1900年代初め、長野県の細野(現・白馬八方尾根)地区にあるとするのが定説だ。当時の細野地区には宿がなく、北アルプス登頂を目指す登山者はガイドの自宅に泊まるのが一般的だった。初めは無償で泊めていたが、やがて謝礼を受けるようになった。その後、鉄道の開通により観光客も増え、民宿は農家にとっての貴重な現金収入源となる。1937年に細野地区の16軒の家が警察の許可を得て、正式に民宿営業を開始した。やがてスキーリゾートとして発展するにつれ、民宿も急増した。50年頃には300軒近い民宿が全国からの客を受け入れていたという。
こうした動きは全国に広がり、各地でスキー、登山、海水浴などが盛んになると、これまで宿がなかった山村や海辺で農家や漁師が民宿を営むようになった。「満室なのに、廊下で寝てもいいからとにかく泊めてくれ、と言うお客さんもたくさんいましたよ」と、番上屋の高橋さんは往時のにぎわいを振り返る。

「苦労もあるけど喜びの方が多いです」と話す、番上屋の女将・高橋和子さん(写真/齋藤雄輝)

「今は畳の座敷よりイスとテーブル」と、食事処も改装した(写真/齋藤雄輝)
新しいスタイルの民宿にも注目
昔ながらの民宿が減る一方で、小規模の宿ならではの利点を生かしながら新しいスタイルの民宿が増えている。例えば、福島・湯野上温泉の湯季の郷 紫泉(しせん)は「新しい民宿の形を」をコンセプトに、館内はスタイリッシュ。全室トイレ付きで、ワーケーションも歓迎している。
宿泊に加えて体験も楽しめる民宿も増えている。「漁師民宿」「農家民宿」などと名乗る宿がそれで、農林魚家が民宿を営む場合、客室面積が基準を満たしていなくても認可されるなど、規制が緩和された影響だ。
また、建物の老朽化問題に関しては、自治体がリニューアルなどの費用を支援しているケースもある。福井県では北陸新幹線金沢―敦賀駅間の開業を見据えて県が改修費用を支援した。北海道美瑛(びえい)町では町内で新たに起業する人(民宿を含む)を対象に、補助金を交付した。
「質」をウリにする民宿が増えていることも興味深い。部屋を広くしたり、トイレ付きに改修するなど、現代の消費者ニーズに合わせるのは旅館と同様だ。石川県能登町の「ふらっと」のように、1日4組限定、1泊2食2万4200円~と高額ではあるが、能登の発酵食文化をしっかり伝えたいと意欲を見せている民宿もある。
民宿に限ったことではないが、伝統を守りながら時代に合わせて変化を遂げることは消費者の心を動かすピースの一つであることは間違いない。転換期で模索する民宿。今はそれを見る、体験する、いい時期なのかもしれない。

能登島の民宿 山水荘では20種以上から選べる色浴衣を用意。サービスにも力を入れる(写真/宮川 透)

山水荘の客室例。今風にリノベーションする宿が増えている(写真/宮川 透)
文/渡辺貴由
※記載内容は掲載時のデータです。
(出典:旅行読売2026年8月号)
(Web掲載:2026年9月11日)


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