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明智光秀を知る旅(1)

場所
> 福知山市
明智光秀を知る旅(1)

「福智山」と命名 教養人の片鱗示す

主君・織田信長を討った明智光秀には「謀反人」のレッテルが付きまとうが、一方で自領では「名君」と慕われたといわれる。光秀が主人公のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートするのを機に、謎多き武将ゆかりの福知山市を訪ねた。

2019年末の京都府福知山市は、多くの観光客でにぎわっていた。

JR福知山駅から、ドラマ化決定を伝える旗が林立する市役所前を通り、徒歩13分ほどで最初の目的地、福知山城に到着した。

光秀が、信長の命で丹波(今の京都府、兵庫県などに相当)を平定した際、西国攻略の拠点として築いた城だ。とはいえ、現在の天守閣は1986年に復元されたもの。残念ながら光秀が築いた当時の城そのものではない。

墓石や五輪塔などが転用されている

光秀による築城の痕跡がうかがえるのは、天守台の石垣だ。自然石を巧みに積み上げた「野面積み」で、乱雑に見えながら堅固。よく見ると、墓石や五輪塔なども転用して使われているのも特徴だ。

地元観光ガイドの芦田八郎さんによると、「地域の平定に当たり、地元の旧勢力の象徴としての寺院を破壊して石垣に組み込むことで支配を示したという見方もできる」という。

光秀が平定するまで、この城の前身は、横山(塩見)氏が支配していたため、横山城(城といっても、簡素な掻上城)と呼ばれていたという。それを光秀が、「丹波なる吹風(ふくち)の山のもみじ葉は散らぬ先より散るかとぞ思ふ」という和泉式部の和歌を基に、自らの姓に含まれる「智」の字を当てて「福智山城」と名付けたといわれている。

光秀が和歌や連歌などに通じた教養人であったことを示すエピソードといえよう。

Writer

松本浩行 さん

東京都墨田区出身。月刊「旅行読売」編集部勤務から3年間の青森県勤務(読売新聞弘前支局)を経て、2019年11月、月刊「旅行読売」編集部に戻る。これまでに群馬県、石川県、宮城県などでも勤務した経験をもつが、今では「歌手ならりんご娘(ご当地アイドル)、山なら岩木山、果物ならリンゴ」と語る青森推しの編集長。