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明智光秀を知る旅(2)

場所
> 福知山市
明智光秀を知る旅(2)

城下町を整備し、治水に貢献 神として祀られる

天守閣の内部は近代的な資料展示室。中でも光秀関連で目を引くのは、光秀が定めたとされる18条からなる「家中軍法」の複製だ。現物は、のちほど紹介する御霊神社が所蔵していて、市の指定文化財になっている。

「家中軍法」には、戦場での規律や軍役の基準などが書かれているが、石高に応じて馬や鉄砲、槍などの供出する数を定めており、光秀が領地で検地を行っていたことがうかがえる資料にもなっている。

蛇ヶ端御藪(明智藪)

福知山城から、府道をまたぐ太鼓橋風の歩道橋を渡ってすぐの所に、光秀が治水のために竹などを植えたと伝わる「蛇ヶ端御藪(じゃがはなおんやぶ)」(明智藪とも呼ぶ)がある。城下町を整備するに当たり、由良川の流れを変え、新たな流れの衝撃をやわらげるためにこの藪を設けたとの伝承があるそうだ。

地元の「明智光秀公研究会」のメンバーでもある芦田さんは「光秀さんの業績としては、このほかにも地子銭(宅地税)を免除するなど、城下町としての発展の礎を築いたことが挙げられます」と話す。

御霊神社

明智藪から15分ほど歩けば、御霊神社だ。

この神社は、五穀をつかさどる保食神を祭神、光秀を配神とする。福知山では、光秀は地元の人々の敬愛と尊崇を集める神なのだ。

神社所蔵の「家中軍法」には、自分を取り立ててくれた織田信長に対する感謝の気持ちも書かれている。これが書かれたのは「天正9(1581)年6月2日」。本能寺の変が起きた天正10年6月2日のちょうど1年前だ。この文書が偽書でないとするならば、1年という月日の間に何が光秀を変えてしまったのか。そんなことを考えながら、鳥居をくぐった。

Writer

松本浩行 さん

月刊「旅行読売」の元編集長。在任期間は、2020年3月号から2022年9月号まで。

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