【おうちで南極体験】極地の動物を底辺で支えるアイス・アルジー――南極の生物の不思議物語
アイス・アルジーという言葉を聞いたことがありますか? これはペンギンやアザラシなどの野生動物が食べる餌たちの栄養になる存在で、南極の生態系ピラミッドの底辺に位置する植物の一つです。時に迫力ある姿で、時に愛嬌たっぷりに私たちを楽しませてくれる、南極の動物たち。その命の大元ともいえるアイス・アルジーについて、また厳しい環境で生きぬく南極の生物について、国立極地研究所名誉教授であり、海洋生物学を専門に研究してきた農学博士の渡邉研太郎さんにお話をうかがいました。南極で生きる生物たちの生態を知れば、ますます南極に興味が湧いてきます。
野生動物の生存に欠かせないアイス・アルジー
アイス・アルジーのアイスは氷、アルジーは藻類という意味です。昆布やワカメなども藻類ですが、それよりもはるかに小さく、植物プランクトンと同じような分類群の植物をいいます。海の食物連鎖の基底をなす植物プランクトンとならんで、アイス・アルジーはその基礎生産者の一つです。
海に氷が張っている時期は、氷に遮られ光が弱まるため、海中の植物プランクトンは増えるのが難しくなります。しかし、アイス・アルジーはそういう環境でも増えることができるので、植物プランクトンが増殖できない期間に生態系を支える大事な生物です。
一般的に基礎生産者は光合成で二酸化炭素を有機物に変換してくれる植物です。それをさまざまな生物が食していき、生態系ができていきます。南極は太陽が一日中出ている白夜と全く出てこない極夜とがあり、極夜期は光合成ができませんから、有機物が生産されない期間があるわけです。人間にとって水は非常に大事ですが、食べ物がないと生きていけません。生物も同様ですから、光合成で作り出される有機物を餌にしている場合、長期間、餌を摂らなくてもいい生物が生きていけることになります。つまり、南極に生息している生物は長い飢餓状態に耐えられるという性質が必要なのです。
また、生成されたばかりの有機物でなくても、栄養を取り入れられる仕組みを持つ生物もいます。光合成で生産された有機物は、ゆっくりと海底に沈んでいきます。海底にいる生物はフレッシュな有機物だけでなく、利用されずに残って長く沈殿しているようなものを摂取して、栄養として利用できる仕組みを持つものもいます。例えば、海底にいるホヤは、海水をろ過してその中の有機物を食べ、栄養として取り込むことができるのです。
省エネモードで体力を温存⁉ 南極のユニークな魚たち
ペンギンの餌として知られるオキアミは、餌がなくても何か月も生きていけることが知られています。その秘密は脱皮です。脱皮をするごとに体が小さくなることが実験でわかっています。体を小さくして、さらに代謝を下げることで対応しているのです。
また、南極には血液が透明な魚がいます。コオリウオという魚のグループがそうで、ヘモグロビンがないので血液が透明なだけでなく、エラも白い。じゃあどうやって体中に酸素を送っているかというと、エラで取り込んだ酸素を、血液の液体成分(血しょう)に溶かして運んでいるのです。南極周辺の海水は低温なので、水温の高い海に比べて動物の代謝が低くて消費エネルギーが少ない上、海水中や血しょう中にたくさん酸素が溶け込むというのも助けになっています。
魚も空腹になると間違いなく餌を摂ります。ただ、お腹がすかなければ頻繁に餌を摂る必要がなく、空腹になるまで何もしなくてもすむわけです。基本的に野生の動物は無駄な動きをせずに、じっとしています。人間のようにどこかに遊びに行ったりしません(笑)。
こうした生物の体の仕組み、または能力というものは、突然変異的に生まれたものだと考えられます。ダーウィンが唱えていた自然選択の力が働いて、今の環境に合った生物が生き残っているのです。
なかなか南極の生態系を実感するのは難しいですが、その一端をペンギンの糞で見ることができます。ペンギンの餌にもなるオキアミは、エビやカニなどと同じく甲殻類でアスタキサンチンという赤い色素が含まれています。そのため、主にオキアミを食べたペンギンの糞は赤っぽくなり、巣の周りに放射状に出ている場合があります。クルーズの観光で営巣地付近に行った時は、注意深く見てみてください。なお、アデリーペンギンはオキアミのほかに魚も食べるので、魚の割合が多いと糞は赤っぽくはなりません。
南極をより身近に感じられる南極・北極科学館
越冬隊員の釣り好きな人が昭和基地周辺で狙う魚に、メロの仲間でライギョダマシという魚がいます。大きな魚で中には1.5mくらいになるものもあります。このライギョダマシは標本にして、東京の立川市にある南極・北極科学館に展示しています。
南極・北極科学館は、国立極地研究所が南極や北極地域で実施している研究の最新成果を、広く社会に知ってもらうために開館している広報施設です。残念ながら、現在はコロナ禍のため金曜のみ予約でしか入館できず、展示品も手で触ることができない状況です。実物を展示しているところが大きな特徴で、機械遺産に認定された南極点到達雪上車、3,000mの氷の柱を掘り取る時に使われたドリルなど、実際に現地で使用されたものを見ることができます。
展示の目玉の一つが南極の氷で、以前は自由に触ることができるようにしていました。この氷は、暖かくなり始めた10月頃の休日に、20人くらいの隊員がツルハシを持って取りに行ったものです。段ボール箱に入れて昭和基地の冷凍庫で保管し、その後観測船「しらせ」に乗せた冷凍コンテナに移して日本に持ち帰ってきました。
南極の氷の中の気泡にはだいたい2万年くらい前の空気が圧縮されて入っていると言われています。そのため溶ける時にプチッと弾ける音がするのです。氷に触れると、その遥か昔の空気に触れることになりますので、ロマンを感じますよね。
隕石もあります。46億年くらい前にできた物質がたまたま南極に落ちてきて、それを持ち帰ったものです。また、月と火星の隕石がすぐ近くに展示されているのもとても貴重です。現在はできませんが、なかには触れる隕石もあるので、こちらも通常に戻ったらぜひ触って地球ができる頃の宇宙を想像してみてください。もう一つ、大きなドームに投影されるオーロラシアターも見どころです。
南極は人の手の入っていない場所であり、人間を知らない生き物を見ることができる場所です。先住民がいない大陸ですから、観測隊員はところどころにいますが、基本的には人がいません。人の手が入っていない場所とはどういうものなのかを体感できるよい機会です。クルーズに参加されたら、何千年も何万年も前から、自然のさまざまな力が加わって存在している南極の今の状態をぜひ見て欲しいと思います。
(WEB掲載:2021年4月3日)
渡邉 研太郎(わたなべ けんたろう)
福島県会津若松市生まれ。東京大学大学院農学系研究科博士課程。国立極地研究所名誉教授、(公財)日本極地研究振興会 常務理事。研究分野は「南極の海洋生態学(基礎生産者;アイスアルジー)」。
南極観測隊には、越冬隊に4回、夏隊に3回参加し、第41次隊、第46次隊では越冬隊長、第54次では隊長を務めた。また交換科学者として中国観測隊(1988〜1989年)、オーストラリアの南極海調査航海(1992年)、南極条約の査察(2010年) にも参加、南極クルーズには講師として1回(2020年1月)参加している。著書に『南極大図鑑』(共著/小学館/2006年)、『南極観測隊のしごとー観測隊員の選考から暮らしまで』(共著/成山堂/2014年)がある。