天文学とゆかりの深い京都の歴史
平安京を厄災から守るため創建された大将軍八神社
天体で起きる事象を吉凶とし、平安の都では天文道や陰陽道(おんみょうどう)に精通した陰陽師(おんみょうじ)という官職が置かれた。その第一人者が安倍晴明(あべのせいめい)だ。そして江戸時代になると安倍晴明の嫡流から天文の知識を学んだ渋川春海が和暦をつくった。京都に連綿と続く天文と暦の歴史。ゆかりの神社仏閣をめぐり、世界の森羅万象に思いを馳せながら旅してみたい。
平安時代にいかに陰陽道が重要視されていたことがわかるのが、上京区の大将軍八(だいしょうぐんはち)神社だろう。平安京造営の際、桓武天皇の命により方位の厄災除けとして建てられた。陰陽道の星神、大将軍を祀っていることから地元では「大将軍さん」と親しまれ、引越しや旅立ちなどの方位守護や厄除けを祈願する人も多い。収蔵庫には重要文化財の神像80体や陰陽道安倍家の古天文学資料を展示、年2回の特別期間のみ公開している。
そして同じ上京区にあるのが陰陽師のスターでもあった安倍晴明を祭神とする晴明神社。一条天皇の命によって晴明の屋敷跡に建立された。戦火などで一時荒廃したものの、幕末以降、氏子らの手によって少しずつ復興を遂げた。境内には天を仰ぎ見る晴明の像があり、陰陽師として活躍したその姿を想像することができる。
京都駅から徒歩10分ほどにあるのが天文学者、渋川春海ゆかりの龍岸寺だ。幕府に自作の貞享暦(じょうきょうれき)が採用され、天文方として江戸に移住した春海の屋敷跡に建てられた。欄間の彫刻や金色に輝く阿弥陀像など荘厳に満ちた本堂や外観の彫刻など、建築様式も見ものだ。