戦火を免れた古(いにしえ)の塔をめぐる
飛鳥時代の礎石が残る法観寺の五重塔「八坂の塔」
平安中期から後期にかけ、平安京周辺には無数の塔が建立されたという。しかし、室町時代に起きた応仁の乱の戦火に見舞われ、ほとんどの寺院が焼失し、塔も姿を消した。そんな激しい兵火を免れ、いまもなお現存する塔がある。
代表的なのが東山の法観寺の五重塔、通称「八坂の塔」だ。聖徳太子の建立と伝わる古刹で、現在の塔は6代将軍足利義教(よしのり)によって1440年に再建された。五重塔はおよそ40㍍の高さを誇り、5層目だけに欄干(らんかん)が付いていることから、もともとは最上部まで上ることができたのではないかとも。一説には戦乱の世に陣地の旗や、大名の家紋入り旗が翻り、京都の人々に今の支配者が誰であるかを知らしめたともいわれる。
京都の中心から少し離れた伏見の地にあるのが醍醐寺だ。五重塔(国宝)は朱雀天皇が醍醐天皇の菩提を弔うために建立した。応仁の乱による戦火を免れた、京都最古の建物だ。初層内部の壁には両界(りょうかい)曼荼羅や真言八祖が描かれ、日本密教絵画の源流といわれている。通常は非公開だが、醍醐天皇の月命日の29日は法要のために四方の扉が開けられ、写経奉納した人のみ、外側から内部を拝観することができる。
同じ伏見には京都最古の多宝塔(国の重要文化財)を有する宝塔寺がある。関白・藤原基経が発願した極楽寺が前身で、『源氏物語』の舞台として知られる。多宝塔の高さは11・4㍍と小ぶりだが、初層が方形、二層が円形になった姿かたちと、「行基葺(ぎょうきぶき)」と呼ばれる屋根によって全体的に優美な雰囲気をまとう。