【私の初めてのひとり旅】絲山秋子さん フランス
ボルドーのパルモン広場。1987年著者撮影
もてあましたパリ、明るいボルドー
どんな経験にも初めてがあります。もちろん、ひとりで旅することにも。旅好きな作家の「初めてのひとり旅」はどんなものだったのか――芥川賞作家の絲山秋子さんに思い出を書いていただきました。
35歳で無職になったとき、1986年のパリを思い出した。病気で会社を辞めて実家に戻ったのだが、世田谷区に職安はない。失業給付金を受けるためには月に一度、管轄の渋谷まで行かなければならないのだった。渋谷駅から西武百貨店や丸井の横を通り過ぎ、ファイヤー通りを職安に向かって歩いていると自分が街にふさわしくない、つまらない存在だと思えてならなかった。
大学1年生の夏、パリに1か月ほどいた。このときは本当のひとり旅ではなくマンスリーアパートに滞在する両親と夕食のときだけ合流した。昼間はただ、ひとりで歩き回っていた。メトロやバスに乗っても行きたいところはほとんどない。娯楽を楽しめるほどの語学力もなく、お小遣いの余裕もない。どこにも所属しておらず、やるべきこともなく、友達もいない。時間をもてあまし、楽しめない自分が嫌で、それでも毎日歩くほかないのだった。
心休まる場所はポンピドゥセンターにある国立近代美術館だった。三日に一度くらいの頻度で通った。ピカソやマチス、ジャスパー・ジョーンズなどの膨大な展示があり、バーネット・ニューマンやピエール・スーラージュもここで知った。いつでも好きなときに会いに行けるし、言葉も必要ない。常設展の作品が友達のように思えた。
週末はクリニャンクールの蚤(のみ)の市をうろついた。雑多なものを売っている場所には怪しい感じの人もいた。ナシオンやイタリー広場にしても、北駅にしても、私がほっとする場所には気取らない普段着の人たちがいて、それは東京で言えば渋谷や青山より、上野や蒲田の方がしっくりくるのと同じことなのだった。
本来の意味での「初めてのひとり旅」は翌年のボルドーだった。このときは外国人向けのフランス語講座でボルドー大学の学生寮に滞在したのでスペイン人やドイツ人の友達もたくさんできたし、父の友人夫妻も食事やドライブに誘ってくれたので、モスクワ経由パリ行きのアエロフロートやパリからのTGV(高速鉄道)以外はひとり旅という感じはなかった。私はボルドーの街が好きになった。建築基準の関係で建物が低いため圧迫感がないし、パリのように過剰な装飾もない。市街地を歩いていると突然、静かで美しい広場がぱっと開ける。ワインだけでなく牡蠣(かき)や鴨などの食べ物が美味しいことでも有名で、母音の強い方言を話すボルドーの人々はパリよりずっと気さくに思えた。数年後に就職して最初の赴任地となった福岡を好きになったのは、ボルドーに似ていると思ったからだった。
自分のことが好きではなかった若いころは、その場所にいる自分をいちいち俯瞰(ふかん)して、似合わない、一人で恥ずかしいなどとケチをつけていた。ある程度年をとって自分のことが好きになってからは、自分のことを俯瞰しなくなったし、ひとり旅も楽しめるようになった。けれども、その土地を知るための嗅覚やアンテナのようなものは、パリで途方もない時間をもてあまして育ったのだと思う。今でもそんなアンテナを使って、街を取材して小説を書いている。
文・写真/絲山秋子
プロフィール
絲山秋子(いとやま・あきこ)
小説家。1966年、東京生まれ。大学卒業後、メーカー営業職として福岡、名古屋、高崎、大宮に赴任。2003年『イッツ・オンリー・トーク』で文學界新人賞、04年『袋小路の男』で川端賞、05年『海の仙人』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、06年『沖で待つ』で芥川賞、16年『薄情』で谷崎賞を受賞。05年より群馬県高崎市在住。最新刊は『御社のチャラ男』(講談社刊)。公式ホームページ
(出典 「旅行読売」2022年3月号)
(WEB掲載 2022年3月5日)