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【鉄道開業150年】記憶の中の鉄道旅~夜行列車の歴史を振り返る~

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【鉄道開業150年】記憶の中の鉄道旅~夜行列車の歴史を振り返る~

かつての夜行列車は車内販売はもちろん、多くの列車で食堂車も営業していた


生まれて、消えて、今も残る夜行列車

2020年に登場した夜行列車「WEST EXPRESS銀河」が好評を博しているが、その名前のルーツはかつて東京と大阪を結んでいた夜行急行「銀河」にある。夜行列車の数は減っても、歴史や思い出はずっと受け継がれている。夜行列車の誕生から現在に至るまでの変遷や寝台設備の進化を、鉄道開業150年に際し、改めて振り返ろう。

1889年7月1日は、東海道線が全線開通した記念すべき日であると同時に、日本初の夜行列車が誕生した日でもある。東海道線全線開通に合わせて新橋―神戸駅間に直通列車が設定されたが、当時は20時間を要したので、必然的に夜行列車となったのだ。

寝台車を最初に導入したのは山陽鉄道(現在の山陽線の前身の私鉄)で、1900年のこと。この時の車両は、昼間は通勤電車のようなロングシートで、夜は天井部から上段寝台が降りてきて2段寝台となる「プルマン式」だった。

通路の両側にベッドを配置したブルマン式A寝台は、寝台車の元祖的存在

元祖ブルートレイン20系「あさかぜ」が登場

やがて全国に鉄道網が広がると同時に、多くの夜行列車が登場する。しかしまだ庶民に寝台車は高嶺の花で、大正~昭和初期に人気を呼んだのが客車内軽便枕だ。これは座席に取り付ける可動式頭乗せ機のようなもので、1晩30銭(現在の貨幣価値で約500円)ほどで利用できたという。

そして戦後の高度経済成長期の1958年、元祖ブルートレイン20系「あさかぜ」が登場。寝台車が一般化してきた中で、さらなる快適性を実現した20系車両は好評を博し、全国に寝台特急ネットワークを形成する。

ブルートレインの歴史は20系「あさかぜ」から始まった
52cm幅の3段ベッドが並ぶ20系のB寝台はちょっと窮屈だった
通路のイスに腰掛ける光景は寝台列車ならではのものだった

寝台列車の多様化と衰退

やがて20系は、寝台幅と頭上空間の広い2段式B寝台を採用する14系・24系に世代交代していく。

新幹線や航空機の台頭で夜行列車の需要は徐々に減少するが1987年の国鉄分割民営化後、好景気の後押しもあってJR各社で寝台列車のテコ入れが積極的に行われるようになった。その代表が豪華寝台特急「北斗星」で、これに追随するように、1990年代後半にかけて「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」などの豪華個室寝台特急が登場した。「サンライズエクスプレス」もこの時期に運行を始め、時代は個室寝台が主流となる。

北陸線新疋田―敦賀駅間を行く札幌行き「トワイライトエクスプレス」
「トワイライトエクスプレス」の展望スイートは、シャワー・トイレも備えていた

その後、車両の老朽化や新幹線網の発達で夜行列車は次々と廃止され、いまや定期列車として運行されるのは「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」のみとなった。そして現代の夜行列車は、「移動のため」から「乗って楽しむ」へシフトした。「ななつ星in九州」「四季島」「トワイライトエクスプレス瑞風(みずか ぜ)」など超豪華寝台列車を筆頭に、「カシオペアクルーズ」そして「WEST EXPRESS 銀河」が週に数本の頻度で運行されている。

今後はこうしたクルーズ列車だけではなく、“移動”のための夜行列車の復活にも期待したい。

文・写真/伊藤岳志

 

夜明けの山陽線熊山-万富駅間を走る「サンライズエクスプレス」
モダンで快適な「サンライズエクスプレス」のB個室寝台シングル

 

(出典:「旅行読売」2022年10月号)

(WEB掲載:2022年9月28日)

 

 


Writer

伊藤岳志 さん

1969年、神奈川県生まれ。鉄道、車、バスなどさまざまな乗り物の撮影を手がける。著書に「さらば栄光のブルートレイン」(洋泉社)など

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