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【私の初めてのひとり旅】角田光代さん タイ・マレーシア(1)

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【私の初めてのひとり旅】角田光代さん タイ・マレーシア(1)

かくた みつよ (小説家)

1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年、『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『まどろむ夜のUFO』で野間文芸新人賞、『空中庭園』で婦人公論文芸賞、『対岸の彼女』で直木賞、『ロック母』で川端康成文学賞、『八日目の蝉』で中央公論文芸賞、『源氏物語』訳で読売文学賞を受賞。そのほか著書多数。(プロフィール写真Ⓒ垂見健吾)

 

「旅にいくたびノートを1冊持っていって、旅日記兼お小遣い帳をつけている」

ビビりで心配性の私が、はじめてひとりで旅をしたのは1992年、25歳のときだ。いき先はタイからマレーシア、期間は1か月。その前の年に友人とタイを5週間かけてまわり、自由旅行に取り憑(つ)かれ、どこでもいいからどうしても旅をしたくて、でもいっしょにいってくれる友人がいないという理由で、ひとり旅となった。出入国にタイを選んだのは、前年の旅で少しばかりは勝手がわかっていたからだ。

バンコクからハートヤイへ、そこからスンガイ・コーロクにいき、歩いて国境を越えてコタ・バルへ、そこからバスでクアラルンプールへいき、クアラ・プルリスを経てランカウイ島にわたり、10日ほど滞在して船でタイのサトゥーンにいき、ハートヤイ経由でバンコクに戻る、という旅だ。

ランカウイ島で地元の男の子たちと仲よくなって、夜釣りにいったり島巡りツアーに連れていってもらったりした。彼らの遊びかたが、昼も夜も関係なく、時間に縛られていないのが印象的で、その日々は強烈に覚えているのだが、そのほかは記憶がひどく曖昧だ。

旅にいくたびノートを1冊持っていって、旅日記兼お小遣い帳をつけている。あまりに記憶がおぼろげなので、当時のノートを引っ張り出して読んでみた。何度も何度もお金の計算がしてあるのは、手持ちのお金が心許なかったからだが、我ながら気の毒になるくらいほとんどのページにそれがある。

タイのハートヤイ駅。1992年撮影
マレーシアの首都、クアラルンプー ルのマーケット。1992年撮影

「なんだこれ、と読んでいてあっけにとられた」

驚いたのは、着いた翌日から見知らぬ人に酒をおごってもらい、夜行列車では向かいの席の若者たちがベッドづくりを手伝ってくれ、食べもの売りの人が何度もおなかはすいてないか訊きにきてくれ、道を訊いたおじいさんがコタ・バルから長距離バス乗り場まで連れていってくれて、走り去るバスに向かってずっと手を振ってくれた……と、見たもの立ち寄った場所ではなく、人の描写が続くことだ。

さらに、バスの運転手は「気をつけて」と握手をしてくれ、島に着いた日には知らない人たちが巨大ホテルのレゲエバンドのショーを見せにいってくれ、夕食までおごってくれている。庭師の青年がビールをくれて、バスの向かいの席の女性がドーナツをくれる。なんだこれ、と読んでいてあっけにとられた。いったいどれだけの人に親切にされているんだ。25歳の私もびっくりしたのか、「まるで母をたずねて三千里だ」と書いている。私はもう立派な大人だったのに、はじめてのひとり旅でよほど不安そうだったのか、ひもじそうだったのか、その地に暮らすなんと多くの人たちが、手をさしのべてくれたことだろう。

文・写真/角田光代

【私の初めてのひとり旅】角田光代さん タイ・マレーシア(2)へ続く

マレーシアのランカウイ島で撮影。25歳の角田さん

(出典:「旅行読売」2022年12月号)

(Web掲載:20223年1月16日)

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