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【私だけのひとり旅】日光で徳川家康公坐像を拝観する(1)

場所
> 日光市
【私だけのひとり旅】日光で徳川家康公坐像を拝観する(1)

英国大使館別荘から見渡す中禅寺湖の絶景(写真/齋藤雄輝)

 

江戸、明治から多くの人が集まった家康ゆかりの地を歩く

NHKの大河ドラマ「どうする家康」をきっかけに、徳川家康が気になって仕方ない。徳川家と縁が深い日光へ、歴史をたどる旅に出た。

まずは東武日光駅からバスで日光山輪王寺(りんのうじ)へ向かう。目当ては、3月から初公開されている「徳川家康公坐像」だ。御本尊の千手観音(せんしゅかんのん)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、馬頭観音(ばとうかんのん)がまつられた三仏堂の一隅で、お披露目されている。堂々たる御本尊に比べ、高さ9.8センチの像は慎(つつ)ましい。間近で見られるので、衣冠束帯(いかんそくたい)姿で知性をたたえた温和な表情がよく分かる。

輪王寺で公開中の家康公坐像。2024年3月31日まで

「世の中の動きが激しくなっている今、江戸時代の平和の礎を築いた家康公の像を通して、平和について考えてもらえたら」と日光山輪王寺門跡寺務所教化部の柴田昌典(しょうでん)さん。像は二重の厨子(ずし)に収められ、外側の厨子の背面に「諸仏救世者(しょぶつくせしゃ) 住於大神通(じゅうおだいじんづう) 為悦衆生故(いえつしゅじょうこ) 現無量神力(げんむりょうじんりき)」との経文が墨書されている。「世を救う仏様は、神様の姿となり、衆生のために計り知れぬ神の力を現す」という意味だ。これをしたためた堯諄(ぎょうじゅん)は寛政年間に比叡山で千日回峰行(ほうぎょう)という荒行を成し遂げた僧侶で、上野寛永寺の支院の住職だった。「天下泰平を願い、像を背負って拝みながら千日行をしたのかもしれない。日光へ運ばれた経緯は不明だが、今日までよく保存されてきたと思う」と柴田さんは言う。

天海大僧正坐像も通常より近い距離で見ることができる

続いて大護摩堂にまつられている天海大僧正坐像を見学する。天海は家康の神号を「東照大権現」と名付けた高僧。等身大という像は気迫に満ちている。こちらも、家康公坐像の公開に合わせ、2024年3月末までは通常より近い距離で拝観することができる。家康がまつられた日光東照宮の脇の杉並木を抜けて、3代将軍家光の墓所でもある大猷院(たいゆういん)を参拝した。黒と金が基調になった権現造りの建物は、東照宮の家康の廟所よりも派手にならないように配慮されたというが、やはり威厳が漂う。

徳川秀忠により建立された二荒山神社本殿

輪王寺から徒歩で日光二荒山(ふたらさん)神社へ。本殿は2代将軍秀忠が1619年に造営した当時の姿のままという。代々の徳川将軍が築いた文化遺産が約400年後の現代に伝えられていることに感銘を受ける。

日光山は、勝道(しょうどう)上人(しょうにん)が766年に開山し、山岳信仰の霊場として栄えた。江戸期には東照宮詣での歴代将軍や大名に加え、庶民も多く訪れるようになった。明治初期の神仏分離令によって東照宮、二荒山神社、輪王寺の「二社一寺」に分かれ、今の形となった。1999年に「日光の社寺」として世界遺産に登録された。

文/山脇幸二 写真/阪口 克

【私だけのひとり旅】日光で徳川家康公坐像を拝観する(2へ続く

神橋(しんきょう)は勝道上人が大谷(だいや)川を渡ろうとした際に深沙(しんじゃ)大王が現れ、蛇を放ってかけたとされる
輪王寺の境内に立つ勝道上人像

 

 

日光 立ち寄りたい寺社

輪王寺三仏堂は国の重要文化財。平安時代に創建され、江戸時代に家光が建て替えた

日光山輪王寺

1250年を超える歴史を持つ古刹。日光山内と奥日光に分かれる天台宗の寺院。本堂(三仏堂)、大猷院、大護摩堂などの建造物や15の支院を合わせて「輪王寺」と総称する。

■8時~16 時30 分(4月〜10月)、8時〜15時30分(11月~3月)/無休/三仏堂・大猷院・宝物殿セット券1000円/東武日光駅からバス6分、日光東照宮下車徒歩5分/TEL:0288-54-0531

※掲載時のデータです。



Writer

山脇幸二 さん

2022年6月に編集部に着任し、8月から編集長。読売新聞の記者時代は27年にわたって運動部でスポーツ取材に明け暮れた。一時は月の半分近くが出張という生活で、旅行しながら仕事しているような状態だった。今やその旅行が仕事になろうとは…。趣味はロック鑑賞で、ライブやフェスに通うことで身も心も若さを保とうと悪あがきする。矢沢永吉さんを尊敬し、ともに歳を重ねていける幸せをかみしめる日々。

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