【美しき天守へ】“天空の山城”備中松山城と“烏城”岡山城(1)
城の東側にある「備中松山城雲海展望台」周辺からは雲海に浮かぶ備中松山城が見られる(写真/高梁市観光協会)
現存12天守では唯一の山城、雲海に浮かぶ幻想的な備中松山城
備中松山城は、岡山県中西部の高梁(たかは)市にある。市街地の北側に横たわる臥牛(がぎゅう)山(標高487メートル)の尾根に立ち、現存12天守では唯一の山城だ。10月下旬~12月上旬には雲海に包まれることも多く、幻想的な眺めから「天空の山城」とも呼ばれる。
天守へは、伯備(はくび)線備中高梁駅からタクシーやマイカー(混雑時を除く)で8合目のふいご峠まで上がり、そこから徒歩20分ほどで着く。しかしせっかく山城を訪ねるのだから、それでは物足りない。麓から遊歩道を歩き天守まで上ることにした。
駅から「遊歩道入口」までは約30分。途中、小堀遠州が作庭した枯山水庭園が残る頼久寺(らいきゅうじ)や江戸期の武家屋敷(旧折井家・旧埴原(はいばら)家)、御根(おね)小屋の石垣などがあり、城下町の面影が感じられる。御根小屋は平時の城主居館と政庁を兼ねた御殿だ。
臥牛山は四つの峰からなり、城の歴史は鎌倉時代に地頭の秋庭(あきば)重信が大松山に砦(とりで)を築いたことに始まる。その後、城の中心地は現在の天守が立つ小松山に移り、戦国時代には山の周辺を含めて21の砦が築かれ巨大な要塞と化した。中国地方を統一した毛利元就(もとなり)の後継者・輝元(てるもと)は力攻めを行うも最終的には調略によって勝利を収めた。いかに堅城だったかが想像できる。現在の天守は江戸期の城主・水谷勝宗(みずのやかつむね)が1681年から大修築したものだ。
城下町を抜け小高下谷(ここうげたに)川の中洲橋を渡り遊歩道へ。すぐに雑木林に入り急傾斜の山道が始まった。ここから天守までは1時間!毛利輝元も手を焼いた山城に、いざ参ろう。
沿道の石仏に励まされながら、30分ほど上ると右側に「大石内蔵助(くらのすけ)の腰掛石」が見えた。大石内蔵助は水谷氏が改易(かいえき)になった際、城の請(う)け取りに訪れている。ここからもうひと頑張りすると、ふいご峠に到着だ。
二の丸に上がり二層二階の天守と対面
ふいご峠からは高梁市観光課の西雄大さんと歩いた。石段が多くなり、先ほどよりも傾斜は緩くなった。
中太鼓櫓(やぐら)跡を経て、大手門跡に出るとそそり立つ石垣に圧倒された。天然の巨岩の上に積んだ石垣もあり、これぞ山城といった感じだ。江戸期の土塀が一部残る三の平櫓東土塀を左に見て、三の丸跡、厩曲輪(うまやぐるわ)跡を過ぎ二の丸跡に入ると、ようやく天守が姿を現した。
文・写真/内田 晃
【美しき天守へ】“天空の山城”備中松山城と“烏城”岡山城(2)へ続く(11月4日公開予定)
モデルコース(移動時間 約3時間25分)
備中高梁駅
↓ 徒歩15分
❶頼久寺
↓ 徒歩5分
❷武家屋敷
(旧折井家・旧埴原家)
↓ 徒歩10分
遊歩道入口
↓ 徒歩40分
ふいご峠
↓ 徒歩20分
❸備中松山城(天守)
↓ 徒歩20分
ふいご峠
↓ タクシー10分
備中高梁駅
↓ 電車55分
岡山駅
↓ 電車+徒歩15分
❹岡山城
↓ 徒歩+電車15分
岡山駅
※ふいご峠から備中高梁駅まで徒歩で下ると所要1時間10分。ふいご峠-備中高梁駅間に乗り合いタクシーあり。1日4往復、前日17時までに要予約。登城の際にも利用できる。TEL:0866-22-8666(高梁市観光案内所)
城下町グルメ
魚富◉和食
備中高梁駅から北へ約600メートル、土井(どい)鮮魚店の直営店。日本海や瀬戸内海の魚介類はもちろん、高梁川で育ったアユや川ガニ、ウナギも味わえる。昼のあゆ会席2200円(写真)は10月上旬までで、アユの塩焼きや自家製甘露煮などが付く。10月上旬以降は、川ガニが旬を迎える。
■11時〜13時30分、17時〜20時30分/12月30日〜1月3日休(月曜の夜は休み。日曜の夜は不定休)/高梁市鍛冶町73/伯備線備中高梁駅から徒歩12分/TEL:0866-22-0365
※掲載時のデータです。
備中松山城データ
備中松山城<100名城>
築城:1683(天和3)年修築/水谷勝宗
種類:山城
天守:二層二階、木造(現存)
遺構:天守、二重櫓、土塀ほか
入城: 9時~16時(4月~9月は~17時)/12月29日~1月3日休/500円
御城印:あり(300円)。備中松山城入り口券売所で販売
交通:伯備線備中高梁駅から乗り合いタクシー(モデルコース参照)10分のふいご峠から天守まで徒歩20分、または備中高梁駅から徒歩1時間30分
住所:高梁市内山下1
TEL:0866-21-0461(高梁市観光協会)
※掲載時のデータです。
(出典:「旅行読売」2023年11月号)
(Web掲載:2023年11月3日)