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【旅して開運】櫻井治男(皇學館大学名誉教授)さん 伊勢神宮を知ろう<三重>

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【旅して開運】櫻井治男(皇學館大学名誉教授)さん 伊勢神宮を知ろう<三重>

外宮の新御敷地。33年に新たな神殿がここに建てられる予定

 

  

櫻井浩男(さくらい・はるお)

1949年、京都府生まれ。宗教学者。三重県を中心に神道や神社について研究。2018年に南方熊楠(みなかたくまぐす)賞(人文の部)を受賞。神宮や伊勢の魅力を伝える株式会社伊勢之里のオンライン講座の講師も務める。著書に『地域神社の宗教学』(弘文堂)、『知識ゼロからの神社入門』(幻冬舎)など。

 

式年遷宮とは?

伊勢神宮(以下神宮)では、2025年、第63回神宮式年遷宮の始まりを告げる「山口祭(やまぐちさい)」以下の諸祭行事が行われる「遷宮元年」を迎える。33年に遷宮が行われる予定だ。

遷宮とは、平たく言えば「定期的に行われる神様の引っ越し行事」となる。20年に1度行われる神宮の一大祭事で、神々を祀(まつ)る神殿を新しく造り替え、新たに調製された「御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)」と呼ばれる神々の御料の品々や調度品類を奉献するとともに、新殿へ神儀(御神体)を遷(うつ)す一連の儀式・行事の総体のことを指す。御神体を新殿へ遷す「遷御(せんぎょ)」の儀が行われる場面が中心となり、その時点が「遷宮の年」とされる。直近では、13年10月に第62回式年遷宮が行われた。

遷宮が国家制度として定められたのは、天武天皇の時代で、次の持統天皇の時代の690年に内宮(ないくう)、692年に外宮(げくう)で第1回が行われた。神宮の年中祭典は約1500回とされるが、特に秋の収穫を祝う10月の神嘗祭(かんなめさい)は最も重い祭典だ。外宮では15日宵から16日暁に、内宮では16日宵から17日暁にかけて「由貴大御饌(ゆきのおおみけ)」と称される特別な神饌(しんせん)が供され、勅使による奉幣が行われる。神嘗祭に先立つ14日に、内宮では新しく奉織された絹と麻の神の衣装を奉る「神御衣(かむみそ)祭」が行われる。古代には木綿(ゆう)で殿舎を飾るなど、祭場を更新して「秋祭り」を行う慣例があった。毎年の神嘗祭の規模を大きくし、神殿を新造するのが遷宮の基本形であり、その趣旨が「大神嘗祭」、または「祭典のための遷宮」とも言われるゆえんだ。

前回の式年遷宮で行われた奉曳の様子(写真/神宮司庁)

式年遷宮は世の混乱が続いた中世の一時期、120年ほど中断された。慶光院という尼僧の活躍や織田信長、豊臣秀吉らの財政支援で再興され、それ以降は建物造営の意味合いが強まった。遷宮にはおよそ33の祭り・行事があり、主に①殿舎の造替②御装束神宝の調進③遷御・大御饌(おおみけ)・奉幣で構成される。①は社殿の御用材となる檜(ひのき)の調達に始まるが、その前に山の神に奉謝と作業の無事を祈る山口祭を行う。かつて御用材は神宮の宮域から得ていたが、枯渇してきたため、江戸時代以降は主に長野・岐阜の両県にまたがる木曽で調達されるようになった。

山口祭の後は、御用材を伐採する御杣始(みそまはじめ)祭などを経て、御用材が木曽から伊勢へともたらされ、神域内へ搬入される「奉曳(おうえい)」(お木曳行事)へと続く。さらに御用材を加工し、鎮地祭、立柱(りっちゅう)祭、上棟祭などの建築儀礼が行われ、社殿の完成を見るという流れになる。

古例では、遷宮は4年の営みとされていたが、現代ではより多くの時間と手間をかけ、9年に及ぶ準備により伝統の継承に努めている。遷宮文化を守り支える一員となり、諸祭行事を体験する機会が再び訪れようとしている。

内宮・外宮・別宮とは?それぞれの違いは?

内宮の別宮・荒祭宮(写真/神宮司庁)

神宮は125の宮社からなり、中心の皇大神宮(こうたいじんぐう<内宮>)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう<外宮>)、両正宮に付属する別宮・摂社・末社及び所管社に区分される。別宮は正宮に最も縁(ゆかり)のある社で「宮号」で称され、14所ある。天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る内宮第一の別宮が荒祭宮(あらまつりのみや)で、大神の荒魂(あらみたま)を祀る。外宮は豊受大神(とようけおおみかみ)の荒魂を祀る多賀宮(たかのみや)が第一の別宮。

摂社は43所あり、平安時代の法典『延喜式』に記載された国家認定の「官社」。末社は24所で、神宮の古記録『延暦儀式帳』に登場する。所管社は42所で正宮・別宮などに属する。別宮以下の宮社は、両宮神域内や周辺地域に散在するが、内宮の場合、瀧原宮(たきはらのみや<大紀(たいき)町>)・伊雑宮(いざわのみや<志摩市>)は遠隔地にあり、外城田(ときだ)川下流域やかつての祭祀(さいし)一族・荒木田氏の故地、玉城平野(玉城町)に多く所在する。

別宮には、元寇の際、神風を起こし、蒙古軍を退散させた功があったとして、風社から昇格した風日祈宮(かざひのみのみや<内宮)>・風宮(かぜのみや<外宮>)、天照大神の父神を祭る伊佐奈岐宮(いざなぎのみや<内宮>)、弟神の月読命(つくよみのみこと)を祀る月読宮(内宮)、月夜見宮(つきよみのみや<外宮>)がある。

神饌・御料とは?

神饌とは神様に奉る食べ物のことで、神宮では御贄(みにえ)や御饌と称される。毎日朝と夕に外宮の御饌殿で供えられ、年中の諸祭典で奉られる場合などもあり、回数や品数も多い。水・塩・米を基本とし、野菜・果物・海藻・魚類を加工した品々が加わる。米は蒸し飯(いい)や酒・餅として調理される。水は境内の御井(みい)、塩、米、野菜・果物はそれらを栽培する独自の塩田・神田・御園がある。神饌は特製の土器に盛り、案(あん<木製の机>)に載せて供される。特に由貴大御饌の品目は豊かで、鰒(あわび)・伊勢海老をはじめ珍品として、サメノタレ(鮫の干物)やミル(海松)がある。

神事に用いられる物品類は尊んで御料と呼ばれ、御料鰒調製所(鳥羽市国崎町)のような専用の施設もある。

唯一神明造とは?

唯一神明造の特徴を表す内宮の正殿(写真/神宮司庁)

社殿形式の一種だが、神宮の正殿が代表として「唯一」を冠して呼ばれる。檜の素木(しらき)を料材とする柱と板の組み合わせで建てられ、屋根と入り口の位置関係は平入(ひらいり※)。全体の構造は左右対称となっている。丸柱は掘立て式で、寺院のような礎石は用いずに地中に埋められ、高床である。中央に階段を設え、床は5色の居玉(すえだま)で飾られた高欄が廻(めぐ)り、両開きの扉がある。屋根は萱(かや)で厚く丸みを帯びて葺(ふ)かれ、端は美しく切りそろえられている。

※棟に対して並行の面(平)に入り口がある構造

建物は御敷地(みしきち)に南面して建ち、屋根の両側を支えるように棟持柱(むなもちばしら)があり、屋根上部は千木(ちぎ)と呼ばれる交差した搏風(はふ)が天に向かって延び、その頂部はカットされ、内宮が内削(うちぞぎ)、外宮は外削(そとそぎ)と称される。棟には重しとして、内宮10本、外宮9本の鰹木(かつおぎ)が置かれている。千木や鰹木などは餝金物(かざりかなもの)で金色に輝き、神聖さが強調される。

文/櫻井治男(皇學館大学名誉教授)


※記載内容はすべて掲載時のデータです。

(出典:「旅行読売」2025年1月号)
(Web掲載:2024年12月23日)


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